日活 溝口健二の「紙人形春の囁き」「金」

 阿部豊と同じく日活に所属して監督をしていた溝口健二も、岡田時彦を巧みに使った。だが、アメリカナイズされた役ではなく、純日本的な情緒的な世界で、梅村蓉子と組み合わせて使ったという。

 「紙人形春の囁き」(1926)は田中栄三が脚本を担当した作品である。女形が出演した作品の最高傑作とも言われる、田中が監督を務めた「京都襟店」(1922)という作品がある。この作品の助監督に溝口はついており、田中の影響を受けていたという。

 溝口は、両国の老舗の糸屋が没落していく過程を、江戸の名残りの風俗の中で描いた。日活が松竹から梅村蓉子を引き抜き、スターとして大々的に売り出すために企画された作品であり、田中は梅村の見せ場を考えてシナリオを執筆したという。その結果、梅村は自我を表に出さない受身な役で、岡田は梅村にそっと優しく寄り添うだけの役となった。

 森岩雄は「人物日本映画史」の中で、「滅び行く東京の下町に生きる人びとの哀歓が岡田の肉体を通してしみじみと描き出されていた」と賞賛している。

 この作品には、梅村と岡田がそば屋の二階で会っている場面で、屏風に書かれた文章で性行為を暗示したが、検閲でカットされたという。

 他にも溝口は、「金」(1926)を監督している。小品だが、完成された作品と言われる。寿司屋の金さんを中心とした江戸っ子気質の人情喜劇であり、最後まで快い笑いと親しみを感じさせるという。

 「紙人形春の囁き」も「金」も旧社会を描いた作品である。大塚恭一が「溝口健二論」の中で、「古い観点に立って貧しい者の意気、そうした人々の心の美しさとか向上心とか云うものを、親しい同情を以って描き出すことはこの頃から氏の特技の一つとなって来たようにも思われる」と書いているように、旧社会を描いた作品を作らせると当時の溝口は手腕を発揮させたと言われる。