日活 伊藤大輔・大河内傳次郎の伝説的コンビの誕生

 流浪の監督生活を続けていた伊藤大輔は、直木三十五の連合映画芸術家協会から依頼され、奈良に伊藤映画研究所を設立して映画製作を行った。菊池寛の「第二の接吻」を原作とする「京子と倭文子」(1926)や、「日輪」(1926)を監督したが、資金難で直木が撤退してしまった。伊藤映画研究所も資金難から窮地に陥った。仲間も去り、個人では払いきれないほどの借金を伊藤は抱えた。

 そんな伊藤は、やむを得ず日活の京都大将軍撮影織所に入社し、1人の役者とコンビを組むことになる。その役者は大河内傳次郎である。伊藤は松竹蒲田の脚本家時代から報われない生活を送っており、一方で大河内も日活京都撮影所で悶々と日々を過ごしていた。こうした不遇の映画人生を送ってきたという共通点を抱えた2人は、「長恨」(1926)で初めてコンビを組んでいる。「長恨」は、はげしい乱闘のカットバックや移動するフラッシュバックが特徴的だったという。

 2人のコンビはこの後、長い間インテリ層から侮蔑の目で見られていた時代劇のイメージを吹き飛ばしていくことになる。