阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画の設立

 阪東妻三郎プロは、松竹と契約したほかにもアメリカのユニヴァーサルとも提携し、映画会社の阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画を設立している。

 1926年3月頃から、ユニヴァーサルの日本支社が自社配給のアメリカ映画に日本映画を併営して配給しようと計画していた。阪妻プロダクションの経営者立花良介が、ユニヴァーサル日本支社と製作提携し、9月に発表を行った。

 提携の内容は、ユニヴァーサルはアメリカから20万ドル程度の機材を供出して専門技術者を派遣する。阪妻プロ側は、男女優と技術者を各1名提供して映画を製作するというものだった。阪東プロは、完成した映画を1フィートいくらと決めた値段でユニヴァーサルに引き渡した。これによって阪東プロは、阪妻主演時代劇以外に、現代劇や阪妻不出演の時代劇を製作した。配給は大日本ユニヴァーサル映画配給会社が行うことになった。実際の作品は1927年から公開されていくことになる。