その他の日本映画 1926年

 大正活映で小説家の谷崎潤一郎と共に「アマチュア倶楽部」(1920)などの野心的な映画製作を行ったトーマス栗原が、1926年に死去している。谷崎潤一郎は、大正活映がトーマス栗原による野心的な芸術映画をやめた段階で、すでに映画との関係を絶っていた。また、大正活映は経営不振にために1922年に映画製作を中止して、映画興行会社として活動していたが、1927年に解散する。

 牧野省三に去られた東亜キネマは不調に陥っていた。この年作られた作品には、「南蛮寺の怪人」「鉄拳児」「快走恋を賭して」「富士に立つ影」(1926)などがある。

 高柳健次郎がブラウン管に「イ」の字を出す実験に成功している。