短命に終わった阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画

 1926年に、アメリカのユニヴァーサル映画と阪東妻三郎プロの提携によって設立された阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画は、第一回配給作品として「切支丹お蝶」「笑殺」「青蛾」(1927)を配給した。しかし、いずれも阪東は出演しなかったため、系統館は失望した。阪東の作品は松竹が独占して配給したのだった。

 1フィートいくらの契約のために、阪妻・立花側が長引かせた映画を製作したりしたこともあり、興行的に不振に陥り、ユニヴァーサルは5月に提携を打ち切った。立花側は契約不履行でユニヴァーサルを訴えたという。結果、機材は阪妻と立花が月賦で購入し、技術者は帰国することになった。

 阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画の現代劇部、時代劇部を解散して、阪東単独のプロダクションとなり、株式会社化して松竹傘下に入った。