市川右太衛門プロダクション、東亜キネマ、連合映画芸術家協会

 1927年にマキノから独立した市川右太衛門は、奈良のあやめ池遊園地内にスタジオを建設して映画を製作した。「浄魂」(1927)は、マキノ時代と変わらぬ剣劇レビュー的作品だったが、助演者のレベルが低かったという。

 経営不振に陥っていた東亜キネマは、現代劇を撮っていた甲陽撮影所を閉鎖し、京都等持院の時代劇部と合流させた。等持院撮影所で時代劇を製作したが、指導者不足と配給館が弱かったこともあり、苦戦を強いられた。この年製作の作品には、「剣難女難」「南風」(1927)などがある。

 小説家の直木三十五などが設立した連合映画芸術家協会は、資金的に行き詰まりを見せていた。そんな中、江戸川乱歩原作の「一寸法師」(1927)を直木自らがなけなしの金で監督している。