河合プロダクションの設立

 この年、新しい映画製作プロダクションが設立されている。河合徳三郎によって設立された河合プロダクションがそれである。

 河合徳三郎は、多くの映画館を買収していくうちに、徐々に製作・配給にも興味を抱くようになっていた。そんな折、国際活映(国活)の破綻により、巣鴨撮影所を引き取ることになったのだ。河合は巣鴨撮影所の改修を進める一方で、実績を作るために、河合商会を1927年2月に設立して映画配給業を行った。市川右太衛門嵐寛寿郎月形龍之介といった独立プロ作品の関東周辺の配給を、約30本行ったという。

 さらに町屋にあった30坪ほどの粗末なスタジオを沼井春信から買い取り、映画製作を開始した。沼井は浮世絵師で、舞台の背景を描き、天活や国活の映画撮影にもタッチした人物で、河合プロダクション立ち上げに貢献した。