その他の日本映画界の状況 1927年

 文部省の教育映画製作の分野では、1927年9月に、文部省が映画部を設けて省内で教育映画を製作するようになった。「剣岳」(1927)などが作られている。

 ニュース映画の分野では、1927年2月の大正天皇の大葬が、大掛かりな撮影隊が組織されて撮影された。

 アニメ映画の分野では、村田安司が活躍した。動物が主人公の、動きがスムーズでアイデアが奇抜な作品を製作して、児童に親しまれた。この年は「蛸の骨」(1927)が作られている。

 キネマ旬報を発刊していた田中三郎は、株式会社キネマ旬報社を創立し、社長となっている。

 当時の日本では映画上映にあたって弁士が活躍したが、日系移民社会にも弁士が巡業にでかけたという。1927年にも弁士の名前と写真が新聞広告に大きく掲載されたという。移民たちの日本への郷愁の念が感じられる。