キネトスコープ エジソン(4)

 研究が行き詰まった状況の1889年にエジソンはヨーロッパに休暇旅行へ行く。そして、エジソンはエチエンヌ・マレーを訪問し、マレーの撮影機を見たという。そして、すぐに自分の蓄音機式のやり方が間違っていた事を悟り、10月に帰国するとディクソンにシリンダー式からロール状のフィルムを1個のレンズの後ろで間欠的に送られていく機械の開発へと向かうように指示した。そして、11月には暫定特許を出願する。抜かりはない。
 エジソンは暫定特許でパーフォレーションを備えることを盛り込んでいる。パーフォレーションとはフィルムを一部に等間隔に開いた穴のことだ。この穴にフィルムを送る装置を噛み合わせることで、フィルムが一定の速度で、しかもブレることなく送られることになる。この後の研究で最終的にディクソンは1つの画像(写真)に対して4組の割合でフィルムの両側にパーフォレーションをつける。これは今使われている映画のフィルムと同じ割合だ。
 間欠装置についてはマレーの撮影機を見てきたので、問題がなかった。フィルムもセルロイド性のフィルムがウエスト・オレンジの研究所にはすでにあった。必要な要件は揃った。