キネトスコープ エジソン(5)

 なぜ、エジソンは映像の機械を開発するための要件をクリアする事ができたのだろうか?その答えは、エジソンのこれまでの実績と、それに伴う知名度によるものと思われる。エジソンはマレーの撮影機からヒントを得た。知識は共有すべきだというのがマレーの信条だったらしい。だが、だからといって、誰でもがマレーと簡単に会えるわけではない。休暇で訪れたヨーロッパ各地で歓待されたというエジソン知名度が無関係だったとは思えない。
 また、フィルムについての問題もそうだ。多くの映画の機械の開発者たちは柔らかくて耐久性のあるフィルムが入手できずに悩んだ。その悩みを解決できたのはイーストマン社のセルロイド・フィルムだった。セルロイド・フィルムが発売されるという情報が世界で最も有名な研究所に真っ先に持ち込まれていただろうことは予想がつく(エジソン社が情報収集に余念がなかったことも記録に残っている)。
 フィルムを一定の速度で、しかもブレずに送るためのパーフォレーションについては、エジソンが22才のときに発明した株価表示機にすでに使われていたのだ。