キネトスコープ エジソン(6)

 必要な要件が揃っていたにも関わらず、エジソンは映像にそれほど乗り気ではなかった。その理由は、当時の研究の結果がエジソンの描くものとはかけ離れていたからである。では、エジソンが描いていたものは何だったのか?
 エジソンが思い描いていたのは、トーキーでカラーのものだった。なぜ、トーキーでカラーだったかというと、映像をオペラや舞台の代替物として考えていたからだ。家にいながらにして、もしくは実際にオペラや舞台が行われた場所から遠く離れた劇場で、オペラや舞台を楽しむものとしてエジソンは映像を考えていた。
 マレーが動きの研究のために映像へと向かっていったのにも通じるものがある。マレーがもしも動きの研究に映像が役に立たないと思ったならば、映像の研究などしなかったことだろう。エジソンもまた、オペラや舞台を再現するためにトーキーでカラーでなければ、意味がないと思っていた。後に、映画が映画として舞台やオペラとは異なった魅力で人々を魅了していく事などエジソンには考えることができなかった。
 エジソンが将来の見通しが甘かったわけではない。後に登場する映画発明の代名詞的存在のリュミエール兄弟も、映画が「映画」という固有のものとして発展するとは考えていなかった。
 映像の将来を感じ取ったのは、技術者たちではなく、興行師のような見世物を専門とする人々だったのだ。