シネマトグラフ リュミエール兄弟(2)

 弟のルイは14歳のときに、写真の感光材の改良に成功する。その感光材の出来が素晴らしく、欲しいという人が大勢いたために、アントワーヌは工場を作って大量生産をして販売する事にした。「エチケット・ブルー」と名づけられたこの感光材は大ヒットして、リュミエール家は大金持ちになった。
 ここまでで大事な点が2つ。1つは、リュミエール兄弟が写真の専門家であったということ。2つ目が金持ちだったということだ。

 写真の専門家だったリュミエール兄弟は父アントワーヌの命令で、映像の研究に向かったとされている。父アントワーヌがキネトスコープを購入して兄弟に渡したとか、キネトスコープのフィルムを入手してきて兄弟に渡したとか、このへんの事情には諸説あるのだが、とにかく兄弟は映像の研究に向かう。