日本映画(1903年)

 以前に、義和団事件のニュース映画を撮影した吉沢商店はこの年、有名人の葬式や博覧会や観艦式などニュース映画を撮影していく。また、外国からも積極的にフィルムを輸入し、作品のストックを増やしていった。豊かな作品のストックから、吉沢商店では長期興行が可能となった。

 そんな吉沢商店が、この年日本初の映画常設館である「電気館」を浅草にオープンさせている。電気館は元々、電気器具の展示やX線の実験などを見せる見世物小屋だったが、経営不振に陥っていた。それを吉沢商店が買い取ったのだ。だが、設備は雑で見物人は土間に立って映画を見なければならなかった。さらに、夜になると暗い場所にあったため、夜の興行は成り立たず、苦しい興行が続くこととなる。

 このとき、元々電気館で説明などを行っていた染井三郎という人物が、映画専門館となった後も弁士として映画の説明を行った。駒田好洋が派手でおもしろおかしく説明したのに対し、染井三郎の説明は知的だったといわれている。