日本映画(1905)

 昨年勃発した日露戦争はこの年の8月に日本が勝利した。昨年から続いていた日露戦争映画はこの年も人気を誇った。

 吉沢商店のカメラマン千葉吉蔵は、日露戦争の撮影も行っていたが、東郷平八郎元帥が東京に凱旋した際に、カメラを手持ちにして、電信柱に上って撮影したり、カメラを抱えたまま移動撮影を行ったりしたという話が残っている。

 また、この年には2人の人物が東南アジアで日本映画の興行を行っている。

 2人とは播磨勝太郎という人物と、渡邊治水という人物で、播磨はシンガポールで、渡邊は現在のタイ(当時はシャム)で上映を行った。