日本 横田商会の活動(1908)

 吉沢商店に対して、外国映画の輸入を行っていた横田商会も自社での映画製作を開始している。横田商会では、フィルムを節約するために秒速7,8コマで撮影されており、映写の際には「バッタの踊りのようだ」と笑われた。

 そんな横田商会は、横田商会の映画を上映していた京都・千本座の経営者牧野省三に映画製作を依頼した。牧野はその依頼を受け、自分の劇場に出演していた一座を出演させ、近くの寺の境内で「本能寺合戦」(1908)を撮影。続けて、歌舞伎の時代物を映画にしていき、横田商会のために映画を撮影していく。

 そんな中牧野省三は、歌舞伎俳優の尾上松之助を見出し、「碁盤忠信源氏礎」(1908)で映画に出演させ、尾上松之助は草創期の日本映画界のスターになっていく。




(映画本紹介)
魔術師メリエス―映画の世紀を開いたわが祖父の生涯

 ジョルジュ・メリエスの孫であるマドリーヌ=マルテット・メリエスによるジョルジュ・メリエスの評伝。メリエスの映画製作はもとより、妻や愛人の関係や映画製作を行わなくなってからのメリエスの様子などが描かれている。
 映画製作を行わなくなった後のメリエスが、世間的に言われるほど不幸ではなかったことがわかる。
 身内が書いているので、メリエスびいきになっているのを考慮に入れて読む必要がある。