日本 エム・パテー商会の活動(1908)

 輸入映画や実写映画の上映を行っていたエム・パテー商会も映画製作を開始している。東京・大久保のテント張りの撮影所で、中村歌扇一座という少女歌舞伎の芝居を撮影された「曾我兄弟狩場の曙」(1908)がそれである。

 この作品は、エム・パテーの配給館である大勝館の支配人の依頼で製作されたものだという。当時、エム・パテーに撮影設備はなく、1898年頃から映画撮影機の輸入を行っていた鶴淵幻燈店のカメラマンを借りて行われている。鶴淵幻燈店は続いてエム・パテーの依頼で映画製作を行うが、翌年の1909年には、エム・パテーの撮影設備が整ったため、映画製作から手を引くことになる。

 「曾我兄弟狩場の曙」の上映の際には、画面の役者に合わせて科白をしゃべる「陰台詞」という方式が採用され、人気を呼んだ。この方式はこの後流行して、日本映画の上映方法の主流となるが、日本映画の発展を阻害したという意見もある。



(映画本紹介)
日本映画の誕生 〜講座日本映画 (1)

 日本映画についての歴史や論評をまとめた「講座 日本映画」シリーズの第一巻。成り立ちから、「新派」「旧劇」といった重要用語の詳しい解説、弁士についてなど、日本映画初期を概観するには最適の1冊。