日本 牧野省三と尾上松之助

cinedict2006-06-03


 1908年に映画監督となった牧野省三はこの年、歌舞伎俳優の尾上松之助を見出し、「碁盤忠信源氏礎」(1908)で映画に出演させた。尾上松之助は草創期の日本映画界のスターになっていき、「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれていくことになる。

 当時、演劇といえば歌舞伎であり、歌舞伎は英雄豪傑の豪放な立ちまわりを見せる荒事の多い時代ものと、市井の人情の写実を主とする世話ものとがあった。音声もなく、心理描写のテクニックなども発達していない初期の無声映画では世話ものは無理で、立ちまわりが得意な松之助の起用は自然な成り行きだった。
尾上松之助は子供に人気を得た。歌舞伎の大きく目をひんむき相手を睨むという芸が子供たちに強い印象を与えたためだった。大人や知識人は尾上松之助を軽蔑していた。また、松之助の映画を真似て怪我をする子供たちも多く、大人たちは映画の悪影響を憂えたという。

 横田商会は牧野省三に1本30−35円で映画を撮らせ、古くなったフィルムをつなぎ合わせて別の映画で上映したり、使用に耐えられなくなったフィルムは玩具用に売ったりした。横田商会の松之助映画は牧野式即席濫造のおかげで天下を風靡し、1909年(明治42年)から1912年(明治45年)の3年間で168本の主演映画を送り出した。


(映画本紹介)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本の映画の歴史を追った大著。日本映画史の一通りの流れを知るにはうってつけ。