日本 再出発したエム・パテー商会

 エム・パテーの大久保撮影所では、「日蓮上人御一代記」(1910年)が製作されている。一万尺で、67場面という大作だったが、評判はよくなかった。

 そんなエム・パテーは関西方面で不渡りを出し、整理されることとなる。整理後、1911年1月から、資本金50万円のエム・パテー株式会社として再出発していく。エム・パテーの主宰者だった梅屋庄吉は、再出発した会社では専務に収まっている。



(映画本紹介)

映画初期の歴史のみならず、様々な人物によって書かれることによって、様々な角度から見た映画初期の様子を知ることが出来る1冊。