日本 4つ目の巨大映画会社「福宝堂」

 吉沢商店、横田商会、エム・パテーといった大きな映画会社の中に、この年、「福宝堂」という会社が仲間入りしている。

 福宝堂は田畑健造が設立した会社である。東京都内には常設映画館を一区内一館限りという警視庁の内規があった(実際は適用されなかった)。それを知った田畑は、とりあえず第一福宝館から第十五福宝館と名乗り敷地を確保した後、常設映画館の許可権とともに他社に売ろうとしたが売れず、直営映画館を建てることになったのだった。

 とりあえず、第一福宝堂から第八福宝堂の8つの映画館を東京に作った福宝堂は、映画の興行師だった小林喜三郎を営業部長として迎え入れたが、上映する作品に事欠き、撮影所を設立することとなった。

 日暮里の花見寺の芝居小屋近くに撮影所を設立したが、実際には野天にむしろを敷き、背景には書割を多く用い、小さな劇場に出演している俳優たちを舞台とかけもちで臨時に雇い、3〜5日くらいで1本製作したのだった。

 福宝堂の強みは直営の映画館を持っていたことだった。収入を確実に得ることができた福宝堂は、どんなに濫作でも連続的に撮影を行うことが出来た。

 直営の映画館の1つに、浅草に金竜館という映画館を持っていた。金竜館には声色を得意とする土屋松濤がおり、陰ゼリフを声帯模写でつけていた。土屋は内容を自己流に説明し、一場面で長々としゃべるのを好んだため、映写回転の速度を遅くさせたりしたといわれている。



(映画本紹介)

映画初期の歴史のみならず、様々な人物によって書かれることによって、様々な角度から見た映画初期の様子を知ることが出来る1冊。