かつて、日本映画に女優は存在しなかった

 帰山教正によって作られた「生の輝き」「深山の乙女」(1919)は、日本映画の革新を目指して造られた作品と言われている。弁士のいらない映画、せめて一人の弁士が解説するスポークン・タイトル入りの映画を目指したという点も革新の1つなのだが、ここでは女形ではなくて女優を使ったという点に焦点を当てたい。

 ここに、非常に単純な、そして驚くべき事実がある。日本映画には女優がいなかったのだ。女性の役は男性が演じており、女形(おやま)と言われた。その理由は、日本の劇映画は、歌舞伎の系譜を継いでいたからだ。日本映画最初のスターと言われる尾上松之助も歌舞伎出身である。歌舞伎では、女性が舞台に上がることは許されていなかったのだ。

 なぜ歌舞伎では、女性が舞台に上がれないのか?それは、風俗が乱れるとされたからだという。つまり、女性を見ることが目的の男性たちが、いやらしい動機で歌舞伎を見に行くのを防ぐということだ。映画もまた、同じだったと思われる。

 一方で、外国から輸入される映画には、昔から女性が登場していた。アメリカのコメディの始祖と言われるマック・セネットは、自身が製作した短編コメディに「水着美人」と言われた女性たちを登場させて、人気を呼んだ。「水着美人」は最初から、男性のいやらしい動機を当てにしている。

 女形は日本における伝統的な芸として発展したものである。立花貞二郎といった、女形の映画スターも誕生していた。もちろん、ここで書いているのは、「女優」の話であり、日本映画に女性がまったく登場しなかったわけではないだろう。

 女優の不在は、日本映画がいかに歌舞伎の因習を踏んでいたかを物語るものだ。しかし、それはそれとして、映画が誕生してから約25年にわたり、日本映画に女優がいなかったということに、単純に驚いた。