映画評「巨人ゴーレム」

 原題「DER GOLEM, WIE ERIN DIE WELT KAM」 英語題「THE GOLEM」 製作国ドイツ
 パーグ製作 監督・主演ポール・ヴェゲナー

 中世のプラハユダヤ人に対するキリスト教徒たちの迫害に対抗するために、ユダヤ教のラビが土から巨人ゴーレムを作る。ゴーレムを使って迫害をやめさせることに成功するが、こんどはそのゴーレムが暴れだす。

 監督とゴーレム役をつとめているポール・ヴェゲナーは、ユダヤ人たちに伝わるゴーレム伝説がお気に入りらしく、この作品の前にも2作のゴーレム伝説を元にした作品を監督している。残念ながら、前2作は失われてしまっているらしい。

 ストーリーは教訓的である。ユダヤ人を助けるために作り出されたゴーレムは、ユダヤ人全体ではない利己的な理由で使われようとしたことが発端で暴れだしてしまう。神は必ずユダヤ人を助けてくれるが、その力を乱用してはならないということか。

 とはいえ、描写はユダヤ教悪魔崇拝的に描いてもいる。ゴーレムを復活させるための呪文を教えてくれるのは、ベンジャミン・クリステンセンの「悪魔」(1922)にも通じる造形である。

 ドイツ映画である「巨人ゴーレム」は、ドイツ表現主義の作品の1つとも言われている。「カリガリ博士」(1920)を代表作とするドイツ表現主義とは、内面をセットや演技に反映させて、非現実的なものにして表現するという手法の作品群である。確かに、「巨人ゴーレム」のセットに一部表現主義的な面も感じられるが、全体からはあまり表現主義的な香りはしない。表現主義とは特定の思想の元に作られたものではなく、言ってみれば当時の流行とも言える作品群のことである。ヴェゲナー自身も表現主義作品として撮ったわけではないと言っているというから、表現主義作品と括ることで、国際的に売り出そうとしたのではないかとも思われてくる。

 表現主義的な目的でということではないが、ゴーレムの造形はかなり非現実的だ。最大の謎はゴーレムがおかっぱであるということだ。このおかっぱ頭によって、どこか間抜けな雰囲気が漂ってくる。ゴーレムが誕生した後、ラビはゴーレムを買い物に行かせるというシーンがある。このシーンは映画全体にとってさほど意味があるシーンとは思えない。加えて、腕から買い物カゴを下げたゴーレムの姿が、おかっぱ頭の巨大なおばさんのように見えてシュールなおかしさをかもし出している。

 ちなみに、「巨人ゴーレム」の設定は、「フランケンシュタイン」の元になっているとも言われる。その「フランケンシュタイン」は1931年にボリス・カーロフ主演によって映画化されているが、当初主役の予定だったベラ・ルゴシはゴーレムに似た扮装をさせられそうになって降板したという話もある。

 というキッチュな魅力も持った「巨人ゴーレム」は、「カリガリ博士」のような「これぞ表現主義!!」といった魅力には欠けるし、映画史に大きく足跡を残す作品ではないかもしれない。だが、ホラー映画が「せつない」ジャンルでもあるということを証明していることは忘れてはならないだろう。ラストで、ゴーレムは少女の手によって動きを止める。倒れたゴーレムの上に多くの少女たちが乗っかって遊んでいる。その姿は、人間の重い思いから解き放たれて、本来の「土」となったゴーレムが本来いるべき場所、ゴーレムが最も幸せな場所に帰っていったかのように見えるのだ。

巨人ゴーレム 新訳版 [DVD]

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