無自覚だった男 ロスコー・アーバックル事件

 無自覚な人がいる。ある会社の管理職、会社からは強いリーダーシップで部下たちを率い、部下たちからは会社と自分たちの架け橋になることを期待されている。しかし、当の本人にあまり自覚はない。部下たちと一緒に会社のグチをいったりしてしまう。でも、仕事はさすがに普通以上にできるし、とてもいい人だったりもする。


 ロスコー・アーバックル。「ファッティ(デブ)」と言われて愛されたコメディ俳優がいた。1910年代の前半から1921年にかけて、アーバックルは大衆に愛された。時に巨体を行かした怪力によるカタストロフィを、時にヒロインとのロマンスを、時に異様な魅力を持った女装姿を、アーバックルは見せてくれた。

 1921年、アーバックルの人気は地に堕ちる。理由は、強姦殺人犯として逮捕されたからだ。

 アーバックルに集められた仲間たちがホテルでドンチャン騒ぎをしている最中に、ホテルの一室で女性の叫び声が聞こえた。人々が駆けつけると、そこには服がビリビリに裂かれて痛みに苦しむヴァージニア・ラップという女性と、アーバックルがいたという。

 ラップは病院に運ばれて、3日後に死んだ。ラップはアーバックルによって殺されたとされたのだ。よく考えると、これでアーバックルが強姦殺人として逮捕されるのは、少しおかしいように思える。ラップが死んでいた側にアーバックルがいたわけではない。病院に運ばれてから3日後に死んでいる。アーバックルがレイプしようとしたとしても、それが直接的な死ではないかもしれないことくらいは、冷静に考えると分かるだろう。

 幸いにも、陪審員は冷静だったようで、結局アーバックルは無罪になる。この事件には、様々な裏話がある。ラップのプライベートが乱れていたこととか、病気持ちだったとかといった話については、「悲惨な世界〜でぶ君の転落(http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/mondo/m_01/m01_1.html)」に詳しい。


 1920年には、当時の人気女優だったオリーヴ・トーマスが自殺し、原因に麻薬中毒があったというスキャンダルが起こっていた。ハリウッドは、人々から背徳の都という目を向けられていた。アーバックルの強姦殺人容疑の逮捕は、こうした時期に起きたこともあり、それまでのハリウッドで最大のスキャンダルとなった。

 マスコミは基本的に受け手が知りたい情報を報道するという性質がある。大衆はハリウッドの情報を知りたがっていた。それも、スキャンダルを。

 ハリウッド映画界のトップの人々は、そうした大衆の動きを察知していたことだろう。そして、それはハリウッドに大きな影響を与えることも知っていたことだろう。映画を作るだけなら簡単に出来るかもしれない。だが、映画をヒットさせるのは簡単にはいかない。大衆にソッポを向かれてしまったら、映画が生き残る道はない。

 マスコミはハリウッドでのスキャンダルを探していた。対してハリウッドのトップの人々も動いていた。検閲官をハリウッドに呼んでハリウッドの健全性をアピールしたりしていた。

 こうした自分の仕事を自覚していた人々に対して、アーバックルは自分の立場に無自覚だったのではないだろうか。昔からパーティが好きで、人気スターで、人並みはずれた体躯を持ったアーバックルは、格好のスキャンダルの種であるということを。マスコミは虎視眈々とアーバックルを狙っている可能性があることを。ハリウッドのトップの人々が、自分たち行っている「ハリウッド健全」アピールに傷をつけるように人物を許さないということを。


 事件は起こった。

 アーバックルはマスコミから徹底的に叩かれた。アーバックルの映画排斥運動が全米に巻き起こり、アーバックル映画のフィルムは廃棄された。ハリウッドはスキャンダルの都として、不健全さの代表として、槍玉に上がった。


 ここまででアーバックルについて、書いていないことが2つある。1つは、アーバックルの映画はとても楽しいということ。もう1つは、アーバックルを支えた仲間たちがいたということだ。

 アーバックルの映画の多くが事件当時に廃棄されたこともあり、アーバックルの映画はあまり知られていない。特に日本ではチャールズ・チャップリンバスター・キートンが出演している作品がソフト化されている程度だ。アメリカでソフト化されている作品なども含めて、アーバックルの映画は楽しい。巨体を生かした豪快さ、悩みとは無縁のカラっとした爽やかさ。加えて、メーベル・ノーマンドとのコンビ作では、2人の組み合わせが化学反応を起こして、ロマンチックさすら漂わせる。

 アーバックルの仲間たちと言えば、代表はバスター・キートンだ。キートンは裁判でアーバックル擁護の証言をしているし、仕事のなくなったアーバックルに監督を頼んだりしている。他にも、かつてアーバックル映画を製作したジョセフ・スケンクは、アーバックルの収入を確保してあげるために、映画会社を設立している。

 アーバックルは映画を作る才能があったし、コメディアンとしての才能もあったと私は思う。そして、キートンやスケンクの行動を見ると、いい人だったのだろうとも思う。さらに何よりも、アーバックルは強姦殺人など犯していないのだと思う。


 アーバックルの事件は、ハリウッド・スターが、アメリカ大統領と同じくらいのニュース・バリューを持つ存在になっていたということを証明している。引いては、ハリウッドがワシントンと並ぶくらい、ニュース・バリューを持つ場所になっていたということを。

 人間は体感しないと自覚しないものだ。ハリウッドの映画人も、アーバックルの事件が起こるまでは、自分たちが住むハリウッドの存在感の大きさを気づかなかったかもしれない。だから遅かれ早かれ、アーバックル事件のようなとてつもなく大きなスキャンダルが起こっていたようにも思える。


 そんな中、アーバックルがスキャンダルの当事者となってしまった理由、それはアーバックルが無自覚だったということになるのかもしれない。当時のハリウッドに向けられていた世間の目、そのハリウッドを代表するスターという自分の立場、下世話な興味の対象になりやすい体躯といったものに。

 一方で、もしもアーバックルがこうしたことにも自覚的な、管理職に向いた人物だったら、カラっとしたアーバックル映画の魅力は生まれないのではないかという気もする。

 そう考えると、アーバックルの事件は、アーバックルという人物と映画を作る能力と、当時のハリウッドを取り巻く状況が組み合わさったからこそ起こった出来事なのかもしれない。そうした出来事を一般的にはこう呼ばれる。「悲劇」と。