マキノ映画と寿々喜多呂九平と阪東妻三郎

 牧野省三は脚本を重視したことで有名だが、そんな牧野の期待にこたえた脚本家が寿々喜多呂九平と言える。

 「浮世絵師・紫頭巾」(1923)は、寿々喜多の脚本家デビュー作である。寿々喜多は、主役を阪東妻三郎に回すように牧野省三に進言した。だが、メーク・アップのテストに落第したことや名古屋のやくざの親分の横やりもあり、主役は勝川又蔵になり、阪東は忍の半次の役をつとめている。

 アンチ・ヒーロー的な主人公の「紫頭巾」は、それまで旧劇と呼ばれていたジャンルを時代劇へと変えた作品とも言われている。

 寿々喜多は、英雄豪傑を主人公とした尾上松之助の映画とは異なる、活劇の主人公にニヒリスティックな人生観を与え、人間性の探求を描き、一部の映画ファンに歓迎された。また、人間の心理が書きこまれたシナリオを体現する役者として、阪東妻三郎を見出した。尾上らのそれまでのスターたちが1人斬るごとに見得を切るのに対し、阪東は1人斬ると次に襲い掛かるために、常に左右に目をぎらつかせて動き回るなど、人間的な動きをみせた。2人のコンビによる時代劇は、松之助映画に代わって新しい時代劇として大衆の喝采を浴びていくことになる。

 ちなみに、阪東妻三郎は寿々喜多脚本の「鮮血の手形」(1923)で初主役を務めている。佐平次捕物帖にヒントを得た紫頭巾の続編ともいえる作品である。その後も、寿々喜多は阪東主演の「火の車お萬」(1923)といった作品の脚本を書いた。阪東は1953年に死去するまで、文字通りのチャンバラ王として活躍していくことになる。

 マキノ映画からは、阪東妻三郎意外にも、月形竜之介、高木新平、市川右太衛門嵐寛寿郎片岡千恵蔵といったスターを誕生させ、チャンバラ映画を一新した。だが、彼らは人気を得ると独立していき、マキノ映画はつねに野心的な独立プロダクションの地位にとどまった。