山本嘉次郎と牧野省三の出会い

 日活に所属しながらも無断で帝国キネマの「山語らず」(1924)の撮影に参加したりと、フラフラしていた山本嘉次郎は、キネマ旬報の田中三郎社長の口利きで東亜キネマ入社している。当時22歳だった山本だったが、神戸港を背景にした活劇「断雲」(1924)で監督デビューを果たしている。

 その後山本は、当時撮影所の所長だった牧野省三に多くを学んだという。省三に言われた「お前のはストーリーやのうて素通りや」(クライマックスやサスペンスがない)という言葉が後まで残り、活劇や喜劇を修行しなければならないと考えたという。