映画評「HER SISTER FROM PARIS」

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[製作国]アメリカ  [製作]ジョセフ・M・シェンク・プロダクションズ  [配給]ファースト・ナショナル・ピクチャーズ

[監督]シドニー・フランクリン  [製作]ジョセフ・M・シェンク  [原作]ラディック・フルダ  [脚本]ハンス・クレイリー  [撮影]アーサー・エディソン  [編集]ハル・C・カーン  [美術]ウィリアム・キャメロン・メンジース  [衣装]エイドリアン

[出演]コンスタンス・タルマッジ、ロナルド・コールマン、ジョージ・K・アーサー、ガートルード・クレア

 夫婦げんかをするジョセフとヘレン。ヘレンは怒って家を出て実家に帰る途中、著名なダンサーである双子の妹ラ・ペリーと会う。ヘレンとラ・ペリーは相談して、ヘレンをラ・ペリーと同じ容姿にしてジョセフを誘惑する。ジョセフはラ・ペリーに扮したヘレンに惹かれ、駆け落ちまでしようとする。

 当時人気スターだったコンスタンス・タルマッジ主演の作品である。前年の「桃色の夜は更けて」と同様に、タルマッジ演じるヘレン=ラ・ペリーは色情狂のようにロナルド・コールマン演じるジョセフに迫る。「桃色の夜は更けて」と同様に、ここでも言い訳がきちんとできている。ヘレンは夫であるコールマンに対して、自分への愛を再確認するために誘惑しているのだ。夫婦での出来事だから、決して不倫ではない。

 理論的には不倫ではないのだが、コールマンがヘレンをラ・ペリーと完全に思い込んでいる事を考えると、浮気であることは間違いない。その辺を考えるとキリがない。タルマッジの色情狂のような誘惑ぶりを楽しむための仕掛けなのだから。

 タルマッジの容姿については万人受けするタイプではないと思うが、堂に入った誘惑ぶりを見せる。対するコールマンのハンサムだがどこか気が弱く、加えて妻を愛していることがにじみ出る演技もあり、75分の大人の遊戯として見ると決して飽きさせることのない作品になっている。

映画評「荒鷲」

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[製作国]アメリカ  [原題]THE EAGLE  [製作]アート・ファイナンス・コーポレーション [配給]ユナイテッド・アーティスツ

[監督]クラレンス・ブラウン  [製作]ジョン・W・コンシダイン・ジュニア、ジョセフ・M・シェンク  [原案]アレクサンダー・プシュキン  [脚本]ハンス・クレリ  [撮影]ジョージ・バーンズ、デヴェロー・ジェニングス  [編集]ハル・C・カーン  [美術]ウィリアム・キャメロン・メンジース  [衣装]エイドリアン

[出演]ルドルフ・ヴァレンティノ、ヴィルマ・バンキー、ルイーズ・ドレッサー、アルバート・コンティ、ジョージ・ニコルズ、ジェームズ・マーカス

 帝政ロシア。コサック隊のウラジミールは、皇后カテリーナ二世の愛を拒否したために、追われる身となる。一方で、キリラという男のために死んだ父親のために、ウラジミールは「ブラック・イーグル」と名乗り、キリラへの復讐を誓う。だが、ウラジミールが偶然知り合って恋に落ちた美しい女性は、キリラの娘だった。

 「血と砂」(1922)などで大スターとなったヴァレンティノは、創作上の自由を得ようと独立して映画製作を行なっていた。だが、この作品ではハンサムさを押し出した、ファンが求めるイメージ通りの役柄を演じている。

 公開当時31歳だったヴァレンティノは「荒鷲」でも若く、そしてハンサムだ。クラレンス・ブラウンによる、豪華な晩餐シーンでの移動撮影や、帝政ロシアのセットや衣装といった魅力もあるが、やはりヴァレンティノのハンサムぶりに尽きる。

映画評「極楽突進」

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[製作国]アメリカ  [原題]PATHS TO PARADISE  [製作・配給] パラマウント・ピクチャーズ

[監督]クラレンス・G・バッジャー  [原作]ポール・アームストロング  [脚本]キーン・トンプソン  [撮影]H・キンレイ・マーティン

[出演]ベティ・コンプソン、レイモンド・グリフィス、トム・サンチ、バート・ウッドラフ、フレッド・ケルシー

 チャイナタウンで観光客相手に店を開くモリー。仲間と共に、トラブルが発生する狂言で来店者から金を巻き上げていた。そこにやって来た気の弱そうな男をいつもの通りハメようとしたが、男は警官を名乗り、賄賂を巻き上げて去っていった。だが、男が持っていた警官バッジはガス・メーター調査員のもので、男は詐欺師だった。その後、巨大なダイヤモンドを持つ老人に近づくモリーは、自分をハメた男も老人に近づいているのを見る。

 サイレント映画には稀な見事なコン・ゲームを冒頭で見せてくれる。こうしたオープニングを見せられると、否が応にも期待が高まるというものだ。あまりにも良い男の手際はホレボレするほどだし、その後の「誰かの名前が呼ばれた時には必ず返事をする」というちょっとした行動も、一筋縄ではいかない詐欺師としての実力を感じさせる。ダイヤモンドの所持者である気のいい老人ではなくとも、男に魅了されるのはいたし方ないと思わせる。

 ダイヤモンドを巡って、男、モリー、警官、老人が入り混じり、騙し合う老人の屋敷のシーンでも、展開の面白さに加えて、警官が犬と格闘しながら懐中電灯を振り回すと盗んだ金庫を持った男を照らし出し、どんなに逃げようとしても照らし出されるというギャグなど、随所に楽しませてくれる。ちなみに、懐中電灯のシーンは、チャールズ・チャップリンの「黄金狂時代」(1925)にも、懐中電灯をライフルに変えたギャグがある。

 チャーリー・チェイスを男前にしたような(チェイスも十分男前だとは思うが)レイモンド・グリフィス演じる男がいい。常に余裕を失わず、物腰柔らかな様子は魅力的だ。ベティ・コンプソン演じるモリーとの相性も良く、詐欺のプロ同士の化かし合いの中に、プロ同士の敬意を感じさせる。

 終盤のカーチェイスは少し長く感じられたが、今までに見たことがないくらい動員されたバイクは圧巻だった。

 ちなみに、私が見たバージョンは、途中で切れているらしい。警官の追跡を振りきってメキシコ国境を渡った男とモリーだったが、モリーの良心が沸き立ち、ダイヤモンドを返しに行くというのが本来の終わりのようだ。冒頭で警官に化けた男に「まともになれ」とモリーが諭される情感のこもったシーンが、映画の終わりに展開されたと考えると、私が見たバージョンを遥かに超える余韻を持った終わりの作品なのかもしれない。

 タイトルも監督も俳優も今では忘れられている。だが、「極楽突進」は間違いなく一級の娯楽作だ。レイモンド・グリフィスの他の作品をもっともっと見たくなる。コメディの魅力が、スラップスティック一辺倒からシチュエーションや演出が加わっていったこの時期。「極楽突進」にも見事なシチュエーション、構成がある。そして、同じようにコメディの変化に貢献した人物の1人であるチャーリー・チェイスとレイモンド・グリフィスが、非常に似た顔をしていることも面白い。大げさな格好やメイクなど見た目に特徴がなくとも、動きが派手ではなくても、コメディは成立するのだ。

映画評「仇敵めがけて」

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[製作国]アメリカ [原題]CLASH OF THE WOLVES [製作・配給]ワーナー・ブラザース

[監督]ノエル・M・スミス [脚本]チャールズ・ローグ [撮影]エドウィン・B・デュパー、アレン・Q・トンプソン、ジョセフ・ウォーカー [編集]クラレンス・コルスター [美術]ルイス・ゲイブ、エスドラス・ハートレイ

[出演]リン・チン・チン、ナネット、チャールズ・ファレル、ジューン・マーロウ、ヘイニー・コンクリン

[賞]2004年度アメリカ国立フィルム登録簿登録作品

 オオカミと犬の子であるロボは、サボテンのトゲが刺さって動けなくなったところを、デイヴに助けられる。デイヴは牧場主の娘メアリーと恋をしている。自分の所有している土地をホートンに奪われそうになり、襲われて動けなくなったデイヴだったが、メアリーへの助けをロボに頼む。

 出演しているリン・チン・チンとナネットは犬である。1922年にデビューしたリン・チン・チンの作品は人気を呼び、高給を取る大スターとなっていた。「仇敵めがけて」はリン・チン・チンが人気絶頂だった頃の作品である。動物を扱った作品は、大ヒットとなったイギリス映画「ローヴァーに救われて」(1905)から現在に至るまで、多くの作品がコンスタントに作られているが、リン・チン・チンより有名になった犬はいない。

 サボテンのトゲが刺さらないようにと作ってくれた靴を履く姿や、人目を避けて愛し合うデイヴとメアリーのために人がやってくると尻尾を振って合図する姿の可愛らしさ。悪漢ホートンを襲うシーンでの力強さ。様々な要素がリン・チン・チンに込められている。これから後に作られた犬が登場する多くの作品でも踏襲されるものだが、リン・チン・チンが登場するまではなかった要素だったのだろう。

 ロマンス、悪漢、コメディリリーフ、アクションなど、ベタだが娯楽作として不可欠な要素がきちんと盛り込まれており、あの名優リン・チン・チンの魅力も見ることができる貴重な作品である。

映画評「三人」

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[製作国]アメリカ [原題] THE UNHOLY THREE [製作・配給]メトロ=ゴールドウィン=メイヤー(MGM)

[監督・製作]トッド・ブラウニング [製作]アーヴィング・サルバーグ [原作]トッド・ロビンス [脚本]ウォルデマー・ヤング [撮影]デヴィッド・ケッソン [編集]ダニエル・J・グレイ [美術]セドリック・ギボンズ、ジョセフ・C・ライト

[出演]ロン・チェイニー、メエ・ブッシュ、マット・ムーア、ヴィクター・マクラグレン、ハリー・アールズ

 カーニバル芸人として働く腹話術師のエコーは、恋する女でスリのロージーにそそのかさえれて、怪力のヘラクレス、小人のトウィードルディーの3人と「THE UNHOLY THREE(邪悪な3人組)」を結成し、犯罪を企てる。エコーが老婆に、トウィードルディーが赤ちゃんに変装し、ペット・ショップ店に住み込んでチャンスを狙う3人。だが、ペット・ショップ店の店主ヘクターとロージーが仲良くなり、エコーは嫉妬する。

 父の死をきっかけにアルコール中毒になっていたがMGMに監督復帰していたブラウニングと、以前からのパートナーであるチェイニーのタッグによる作品。伝説となる「フリークス」(1932)にも出演することになるハリー・アームズが、赤ちゃんにもなれば残酷な存在にもなる小人トウィードルディーを演じている。トウィードルディーが少女を殺害するシーンが当初あったが、「残酷過ぎる」という理由で、公開に当たってはカットされたらしい。天使のような赤ん坊から、悪魔の殺人者までの振り幅は見てみたかった。

 カーニバル芸人、フリークスたちなどブラウニングらしい要素が散りばめられ、盟友とも言えるチェイニーが主演し、大ヒットした作品で、ブラウニングの代表作と言ってもいいだろう。映画史的には「魔人ドラキュラ」(1931)の方が重要かもしれないが、ブラウニング史的には「三人」の方が重要だ。

 物語の整合性は取れていない。腹話術を使って人を騙すエコーだが、声を出す場所まではコントロールできないはずなのに、別の場所でしゃべっている様に人を信じこませる。3人で悪巧みをするために、店主ヘクターの目に触れるリスクを負ってまで、ペット・ショップに住み込まなければならない理由が分からない。だが、そんなことを押しのけるような要素が「三人」にはある。

 カーニバル芸人として生きる3人の鬱屈。見世物として生きる彼らの鬱屈は、観客たちの好奇の目を通して描かれる。それに我慢できなくなったトウィードルディーは、子どもの顔面を蹴ってしまうほどだ。そんな中、腹話術師のエコーは、ロージーへ恋心を抱いている。中年のエコーの若いロージーへの愛は、時に醜い嫉妬になり、時に純粋な愛情になる。

 エコーのロージーへの愛情は、チェイニーによって見事に表現されている。決してハンサムではないチェイニー演じるエコーの、顔に刻まれた深いシワ。だが、嫉妬するときも、純粋な愛情に満ちている時も、エコーはロージーへの思いに溢れている。チェイニーは「ハートの一」(1921)でも見せた中年男の純粋な恋心を、「ハートの一」の雨のようなシチュエーションの助けを借りることなく、表情と動きで見せてくれる。

 ラストのエコーとロージーの別れのシーン。腹話術の人形の声を借りて放たれる一言に溢れるエコーの思いは切なく、カッコいい。

 カーニバル芸人という見世物的な要素を前面に押し出し、彼らの魅力が発揮できるような強引なストーリーを展開しながら、基礎は中年腹話術師エコーの恋愛感情でしっかり固められている。したたかで、面白く、切ない映画だ。

 「千の顔を持つ男」の異名を持つロン・チェイニーだが、素顔は1つだ。そして、私が素晴らしいと思ったチェイニーはどれも素顔で演じているチェイニーだ。千のうちの一つの顔である素顔のチェイニーの素晴らしさを、もっともっと色んな人に知ってほしい。

映画評「鵞鳥飼ふ女」

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[製作国]アメリカ [原題]THE GOOSE WOMAN [製作・配給]ユニヴァーサル・ピクチャーズ

[監督]クラレンス・ブラウン  [原作]レックス・ビーチ  [脚本]メルヴィン・W・ブラウン  [撮影]ミルトン・ムーア  [編集]レイ・カーティス  [美術]ウィリアム・R・シュミット、エルマー・シーレイ

[出演]ルイーズ・ドレッサー、ジャック・ピックフォード、コンスタンス・ベネット、ジョージ・クーパー

 鵞鳥を飼って生活をする飲んだくれのメアリーは、かつては花形オペラ歌手のマリーとして一斉を風靡した女性だった。だが、出産によってかつての声は失われ、成長した息子ジェラルドのことを恨みながら生きていた。ある日、メアリーの家の近くで殺人事件が起こる。警察に知っていることを聞かれたマリーは、新聞の一面を飾るチャンスと思い、犯行現場を見たと嘘をつく。その嘘によってマリーは世間の注目を集めるが、息子のジェラルドに殺人の嫌疑が及ぶのだった。

 「GOOSE」には、「鵞鳥」の他に「間の抜けた、愚かな」といった意味もあり、タイトルはダブル・ミーニングになっていると思われる。タイトル通り、過去の栄光を捨てられずに、そのため息子にも愛を注げず、酒に溺れて身なりも汚いメアリーの姿は、愚かだ。だが、一方で人間臭くもある。虚栄心や過去への執着は誰にでもあるものだ。

 主人公の愚かだが人間味溢れるメアリーのキャラクターが、「鵞鳥飼ふ女」を並のメロドラマとは違う魅力となっている。恐らく息子が殺人犯の嫌疑を受けなければ、自分が再び有名になるために嘘をつき続けるのではないだろうかという、えげつなさや愚かさが感じられるのだ。その第一の功績は、メアリーを演じるルイーズ・ドレッサーだろう。常に眠たそうな顔つきで、息子にすら悪態をつく姿は、同時期の映画で描かれるどんな女性像とも異なる。

 ドレッサーの演技とともに、セットの素晴らしさもメアリーの性格を形作っている。手入れの全くされていない部屋の汚さ。年代からくるのかもしれないが、それ以上にものぐさなために汚くなっているような印象を与える。一瞬だけ映し出される、窓の外に積み上がる大量の酒瓶の生々しさも忘れがたい。

 映画の中で行われる殺人は、メアリーのキャラクターを浮き彫りにする脇役として見事に機能している。殺人事件ですら脇役として扱う潔さは見事だ。演技といい、セットといい、ストーリーの展開といい、すべてはメアリーという女性を浮き彫りにすることに奉仕している。ストーリーはメロドラマである。だが、決して悪い意味でのメロドラマでは終わっていない。

映画評「燻ゆる情炎」

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[製作国]アメリカ  [原題]SMOULDERING FIRES  [製作・配給]ユニヴァーサル・ピクチャーズ

[監督]クラレンス・ブラウン  [原案]サダ・コーワン、マーガレット・デランド、ハワード・ヒギン  [脚本]メルヴィル・W・ブラウン、サダ・コーワン、ハワード・ヒギン  [撮影]ジャクソン・ローズ  [美術]レオ・K・キューター

[出演]ポーリン・フレデリック、マルコム・マグレガー、ローラ・ラ・プラント、タリー・マーシャル、ワンダ・ホーリー、ヘレン・リンチ、ジョージ・クーパー、バート・ローチ、ビリー・グールド、ウィリアム・オーラモンド、ジャック・マクドナルド、ボビー・マック、フランク・ニューバーグ、ロルフェ・セダン

 父の後を継いで縫製工場の社長を勤めているジェーンは、未婚のまま40歳を迎えていた。部下の1人のロバートと恋に落ちて結婚するも、ロバートはジェーンの妹であるドロシーと恋に落ちてしまう。

 中年女性の悲恋物語である。お涙頂戴ものだといってもいい。だが、若者同士の罪のない恋愛にはないドラマが、「燻ゆる情炎」にはある。のしかかるのは年齢だ。自分に逆らう者をクビにする強引さで、仕事一筋に生きてきたジェーンは、若いロバートと結婚する。周囲からは誹謗・中傷・揶揄といった様々な横やりが入る。この困難をジェーンとロバートが乗り越えていくというストーリーとすることも出来たことだろう。そうすれば、中年女性と若い男性の熱いメロドラマとなったことだろう。だが、「燻ゆる情炎」はそうはなっていない。主眼は、ジェーンとロバートが結婚した後にある。

 ジェーンの不幸は妹が、しかも20歳も離れたドロシーという妹がいたことだ。ロバートとドロシーは恋に落ち、一時はジェーンにそのことを話そうともするが、仕事一筋の頃には見せなかった生き生きとしたジェーンの姿を憐れに思い、2人は思いとどまる。ここで、ロバートとドロシーがジェーンに2人の気持ちを話し、ジェーンがそれを受け入れるという展開にもできたことだろう。だが、「燻ゆる情炎」はそうはなっていない。それだと、あまりにもジェーンは物分りが良すぎる。

 「燻ゆる情炎」のラストはハッピー・エンドだ。ジェーンは、若いロバートやドロシーやその仲間たちの姿を見て、彼らが「あまりにも・・・あまりにも若い」ということを知り、ドロシーがロバートを思っていることを偶然から知り、少しずつ身を引くことを考えていく。もちろん、このハッピー・エンドは出来すぎているし、「若者は若者と付き合うべきだ」という保守的な観念を映画化したものだともいえるだろう。それでも、「燻ゆる情炎」は、そうした出来すぎて、保守的なハッピー・エンドへ向かうために必要なものをすべて揃えることを怠っていない。

 クラレンス・ブラウンの演出は見事だ。ジェーンとロバートの結婚式のシーンでは、2人の足元を映すだけで表現されている。結婚式のような大イベントを短時間で終わらせることで、テンポよくドラマを進めることに成功している。ドロシーがロバートを思っていることを偶然に知るシーンもまた見事だ。寝室で泣いているドロシーを見つけたジェーンは、ドロシーが思っている男性がいることを知り、「ハワード?フレディ?」と1人ずつ名前を挙げていく。だが、ジェーンは反応しない。そのうち、窓の外にロバートを見つけたジェーンは声をかける。「ロバート!」と。その瞬間、ハッと窓の方を見るドロシー。ジェーンは、窓に映ったそんなドロシーの様子を見てしまう。驚きとショックを隠しながら、ジェーンは言う。「ロバート・・・早く入ってきてね」。

 テンポよく、また皮肉を利かせたシナリオにも触れておく必要があるだろう。開巻からジェーンのキャリア・ウーマンぶりを、簡単に人を「クビにする」ことで表現し、ロバートを「クビにしない」ことからドラマがスタートするという妙。ドロシーが呼んできた友人たちに、ドロシーの母親と勘違いされてショックを受けたジェーンだが、気持ちを持ち直して、ダンスの途中でいちゃつく若いカップルの真似をしてロバートといちゃつこうとするが、ロバートにとことん拒否される部分では、さみしさが見事に表現されている。

 主役のジェーンを演じているポーリン・フレデリックは、映画公開当時42歳。実年齢とほぼ同じ年齢の役柄を、無理なく見事に演じきっている。

 サイレント映画期の映画というと、チャールズ・チャップリンバスター・キートンといったコメディや、「イントレランス」(1916)のようなスペクタクル作に目が向きがちだ。だが、そういった作品ばかりが人々に受け入れられていたわけではない。「燻ゆる情炎」のような地味だが、堅実なドラマも生み出されていたのだ。サイレントの映画技法は完成され、様々な内容を映画は表現できるようになっていた。それは、映画を内容だけで善し悪しを考えるようにもなってしまいがちな面も生み出すわけだが、もしそうなっていなければ映画はこれほどまでに人々に受け入れられることはなかったことだろう。映画は、他のメディアと比べて分かりやすさで発展していくことになるからだ。

 「燻ゆる情炎」は、サイレント期の映画話法の完成作の1つとしても見るべき作品であると思うし、内容でも見るべき作品でもあると思う。ドロシーは言う。「もう21歳よ。あっという間に年を取ってしまうわ」と。その言葉が本当にそうだと感じる人は、「燻ゆる情炎」を見てみよう。思い入る部分がきっとあることだろう。