映画評「弥次喜多・尊王の巻」

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[製作国]日本  [製作]日活(太秦撮影所)

[監督・原作・脚本]池田富保  [撮影]青島順一郎

[出演]大河内伝次郎、河部五郎、酒井米子、尾上多見太郎、葛木香一、久米譲、南部章三、尾上華丈、桂武男、新妻四郎

 弥次と喜多の2人は、子供たちが歌うわらべ歌を口ずさんでいたところ、反徳川的だとして幕府の役人に捕らえられそうになる。そんな2人を、勤皇志士の安田が助けるが、代わりに安田は捕らえられる。弥次と喜多は、泥棒の山嵐の助けを借りて安田の救出に向かう。

 時代劇スターとして活躍していた大河内伝次郎と河部五郎、さらには人気女優だった酒井米子が出演した作品としてヒットしたと言われる。二枚目の大河内と河部がコメディ演技を見せているのも注目を集めた。また、佐藤忠男によると、ウォーレス・ビアリーとレイモンド・ハットンが主演したアメリカ映画「喧嘩友達」(1927)を元にして作られており、ハリウッド映画の影響を受けた日本映画でもあるという。

 現存しているのは一部分だけであり、私が見たのは14分程度だった。弥次と喜多が牢屋に忍び込むシーンでは、2人が牢の番人に見つかっていることを、観客には分からせるが2人は気づいていないという認識のギャップから面白さを生み出すという、古典的な手法が使われている。さらに、御用提灯を見ると目がくらむという人物設定にすることで面白さを生み出すという、特異なキャラクターの面白さもあり、コメディ映画の古典として楽しめる。

 本当に一部分だけなので、全体の面白さは分からなかったのが残念だ。

映画評「闇の手品」

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[製作国]日本  [製作]本庄映画研究所

[監督 脚色]鈴木重吉  [原作]八木祐鳳

[出演]三田村次郎、相澤三、高森正二

 両親が借金で苦しんでいる少年は、ある夜、謎の男から大金を預けられる。少年は、預かった金の一部を使って借金を返そうとする。

 「何が彼女をそうさせたか」(1930)で知られる鈴木重吉が監督した作品。独立プロダクションが製作した道徳劇である。二重露出を多用した心理表現などに工夫されている点がある。少年を演じている三田村次郎の凛々しい表情も、道徳劇にはぴったりだ。この作品以外に、三田村の名前を見ることがないのが残念だ。

映画評「百萬両秘聞」

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[製作国]日本  [製作]マキノプロダクション(御室撮影所

[監督]牧野省三  [脚本]山上伊太郎  [原作]三上於菟吉  [撮影]松浦茂

[出演]嵐長三郎、市川小文治、尾上松緑、松浦築枝、鈴木澄子、都賀一司、森清

 春水主税は、世直しのために、隠された百萬両を探す。そのことを知った通り魔の半次や、主税に恋をしたお花などに邪魔される。半次は主税の許婚の藤尾を誘拐して主税をおびき寄せ、一方お花は男をたらし込んで百萬両のありかを突き止める。

 この当時の日本映画はほとんど現存していない。現存していても断片的だったりするものがほとんどだ。「百萬両秘聞」はストーリーが通る程度に現存している貴重な作品である。公開時は三部作であり、私がビデオで見たバージョンよりも長いようだが、致し方ない。

 マキノの「鞍馬天狗異聞」(1927)でスターとしてデビューした嵐長三郎(後の嵐寛寿郎)は、この作品では絶世の美男子として描かれている。歌舞伎調の化粧が濃すぎるように感じられるが、その点を差し引いても、確かに長三郎はハンサムだ。

 込み入ったストーリーは、宝探しアドベンチャーとしての魅力を持つ。一方で、半次やお花といった個性的な脇役たちが魅力的だ。特に悪役にもかかわらず、鈴木澄子が演じるお花の悪女ぶりは見事で、百萬両を見つけるためにたらし込んだ男が用済みとなり、殺してしまった後に浮かべる表情は圧巻だ。

 当時の日本映画は、弁士の説明がつくことが当たり前であり、映像的な表現は発達しなかったといわれる。この作品からもそういった面は感じられ、弁士がなければストーリーを理解できたかと聞かれると、あまり自信がない。それは、現存しているフィルムが足りないからかもしれないが、確認のしようがない。だが、当時の日本映画が弁士の語りと一体化されたものだったと考えると、映像的表現が不足している点は決してマイナスにはならないだろう。

 サイレント時代の日本映画と聞くと、難しく感じられるかもしれない。だが、「百萬両秘聞」はあくまでもエンタテイメントに徹している。この頃の日本映画が存在していないということは、日本映画史的にも、日本の文化史的にも悲しいことなのだが、エンタテイメント史的にも悲しい事実であるということを、強く感じる。


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映画評「怒苦呂」

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[製作国]日本  [製作]市川右太衛門プロダクション

[監督]白井戦太郎  [撮影]河上勇喜

[出演]市川右太衛門、高堂国典、新妻律子

 幕府のキリシタン弾圧に業を煮やした人々が教徒軍を結成して、潮霊之助をリーダーに反乱を起こす。しかし、反乱は鎮圧され、潮は逆賊となり、かつての仲間たちからも追われる身となる。

 この頃製作された多くの日本映画の例に漏れず、「怒苦呂」のフィルムは一部が失われている。私が見たのは47分のもので、完全版ではない。そのためもあってか、ストーリーは活弁の力を借りなければ分からなかったことだろう。だが、当時の日本映画の作られ方が、活弁を前提に作られていたためでもある。

 幕府に対抗する教徒軍のリーダーを演じるのが、市川右太衛門である。当時すでにマキノ映画でスターになっていた市川が作った独立プロで作られた作品である。市川が演じるのは、教徒軍のリーダーだ。設定が悲愴感を漂わせる上、戦いが終わってからは、幕府の命によってかつての仲間たちからも命を狙われるという、悲愴に悲愴を重ねる役どころだ。「雄呂血」(1925)に見られるように、このような悲愴感漂うキャラクターの時代劇は、当時多く作られている。

 時代劇と言えば、立ち回りである。この作品では、肺病を抱えた市川演じる潮が、体力を限界まで使っているかのような、躍動感を感じさせる立ち回りを見せる。躍動感といっても、スポーツ選手のような軽やかさとは異なる。持てる力をすべて振り絞った動きといえば言いだろうか?とにかく、生命を感じさせる立ち回りなのだ。

 「怒苦呂」は、有名な作品ではない。しかし、当時多く作られた時代劇の魅力の一端を、しっかりと伝えてくれる作品と言えるだろう。


映画評「ダウンヒル」

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[製作国]イギリス  [原題]DOWNHILL  [製作]ゲインズボロー・ピクチャーズ

[監督]アルフレッド・ヒッチコック  [脚本]エリオット・スタナード  [撮影]クロード・L・マクドネル  [美術]バートラム・エヴァンス

[出演]アイヴァー・ノヴェロ、ベン・ウェブスター、ノーマン・マッキンネル、ロビン・アーヴィン、ジェロルド・ロバートショー、シビル・ローダ、アネット・ベンソン、リリアン・ブレイスウェイト、イザベル・ジーンズ

 裕福な家の大学生ロディーは、女性を妊娠させた濡れ衣を着せられて、大学を退学させられる。父親から勘当されたロディーは、舞台役者やジゴロと転落の道をたどっていく。

 ストーリーは非常にメロドラマティックで、捻りに欠ける。だが、それを補って余りあるヒッチコックの演出が、「ダウンヒル」にはある。といっても、目を見張るようなカメラワークや、編集があるわけではない。堅実だが効果的な演出を見ることができる。

 ロディーが転落していく象徴として、エスカレーターやエレベーターで下に降りていくショットがある。この分かりやすい、ヒッチコック自身は「ナイーヴな」と表現している演出が見事だ。象徴の選び方としては安易なのだが、エスカレーターを降りていくロディーの後姿が小さくなっていく構図や、エレベーターに立っているロディーの無表情を真横に捉えた構図は、象徴の安易さを超えた堅実な演出を感じさせる。また、それぞれのショットが、比較的長めに時間を取っている点も見事だ。何とも言えない物悲しさが漂う。

 もう1つ、見事な演出を見てみよう。ジゴロとなったロディーは、金持ちが集まる夜のパーティに出席し、女性たちとダンスをすることで金を取っている。その中の1人が、ロディーに憐れみの気持ちを抱き、ロディーは心を許して過去を話す。朝が来る。カーテンが開き、太陽の光が射し込む。そこでロディーは、その女性がかなりの年の、決して美しいとは言えない男性的な顔立ちであることに気づく。少し過剰にメイク・アップされているとは思うが、女性を捉えたクロース・アップは非常に残酷で、かつ効果的だ。

 「ダウンヒル」に、ヒッチコックの名前からイメージされる、サスペンスに溢れた、演出の凝った作品を期待してはいけない。ありきたりな内容を、優れた監督が堅実に撮った作品である。


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映画評「リング」

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[製作国]イギリス  [原題] THE RING  [製作]ブリティッシュ・インターナショナル・ピクチャーズ  [配給]ウォーダー・フィルムズ

[監督・脚本]アルフレッド・ヒッチコック  [撮影]ジョン・J・コックス  [美術]C・ウィルフレッド・アーノルド

[出演]カール・ブリッソン、リリアン・ホール=デイヴィス、イアン・ハンター、フォレスター・ハーヴェイ、ハリー・テリー、ゴードン・ハーカー

 ジャックは、あらゆる挑戦者をボクシングで倒す巡業を行う一団の一人。ある日、プロのチャンピオンであるボブにやられるが、ジャックはボブの言葉添えもあって、プロの道へと進む。だが、ジャックの妻とボブは互いに愛し合うようになる。嫉妬もありジャックは奮起。ついにジャックとボブのタイトル・マッチが組まれる。

 ヒッチコックの作品としては、「下宿人」(1927)に次いで公開された作品である。「下宿人」が後のヒッチコックの代名詞である「サスペンスの神様」の初期作品にふさわしい内容であるのに対し、「リング」はメロドラマである。しかし、ヒッチコックが「映画の神様」であることは証明されている。

 ヒッチコック自身が、当時はどんなに小さなことでも映像的表現を試みたと述べている通り、「リング」の演出は見事だ。冒頭の細かいモンタージュの積み重ねによる遊園地の描写は、楽しげな雰囲気が一気に伝わってくる。

 緩急のも見事だ。ジャックが試験の試合を受けに行き、妻が待っているシーンでは、心配から呼吸が荒くなる妻の表情のクロース・アップに、ジャックが試合をしている様子が二重写しで描かれる。こちらまで呼吸が荒くなってきそうな緊張感が漂う。そこにジャックの試験結果の電報を持ってきたと思われる少年がやって来るが、遊園地のいろいろな乗り物を見回していて、なかなかジャックの妻の元までやって来ない。一方で、ジャックがボクサーとして勝ち進んで行くことは、看板に書かれたジャックの名前が徐々に上になっていくのを、編集でつなげることでテンポよく表現している(ここでは背景で季節の移り変わりまでが表現されている細かさ)。ヒッチコックは、映画の魅力の1つが、こうした時間を自由自在に伸び縮みさせることだということを、すでに知っている。

 タイトルの「リング」は、ボクシングのリング、ジャックと妻の結婚指輪、ボブがジャックの妻に送った腕輪、3人の人間関係と様々な意味が重ね合わされている。こうした工夫も忘れてはならない。

 ユーモアの点を触れておこう。「リング」は巡業興行を行う一座を描いている。その点を使った最大のユーモアは、ジャックと妻の結婚式のシーンだろう。お祝いに駆けつけた巡業仲間の中には、シャム双生児の女性がおり、巨人がおり、小人がいる。牧師が彼らを見て驚く。批判を恐れずに書けば、私はこのシーンでかなり笑った。それが差別意識なのだと言われるとそうかもしれないが、普通の結婚式だと思ってやって来た牧師が驚く様子が面白かったのだ。その後には、式が始まって立たなければならない時に、まるでショーが始まるときのように一座の面々が拍手をするという見事なギャグが続く。

 映像で語るという点に関しては、F・W・ムルナウの「最後の人」(1924)に負けず劣らずと言えると思う。しかし、「リング」は「最後の人」ほどの知名度はないし、芸術作品としても扱われていない。それはなぜかというと、ストーリーにあると思う。ありきたりな三角関係を描いたメロドラマに。しかし、ここにまたヒッチコックの存在意義を感じさせるのだ。後にヒッチコックが生み出していく映画もそうだが、内容的には芸術的でも何でもないものを、見事な映像表現によって映画作品として高さを追求している点にである。

 ヒッチコックは、いかにも映画芸術といった作品ではなく、誰もが楽しめる、どうでもいいような内容の作品にも、映像表現の工夫が必要であること、そのことによって映画は為にならなくても、人生を描いていなくても、面白い映画になるということを教えてくれる。「リング」を見よ。くだらない内容の、素晴らしい映画を。


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映画評「下宿人」

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[製作国]イギリス  [原題]THE LODGER  [製作]ゲインズボロー・ピクチャーズ  [配給]ウールフ・アンド・フリードマン・フィルム・サーヴィス

[監督]アルフレッド・ヒッチコック  [原作]マリー・ベロック=ローンズ  [脚本]エリオット・スタナード  [撮影]ガエターノ・ディ・ヴェンティミリア  [編集]アイヴァー・モンタギュー  [美術]C・ウィルフレッド・アーノルド、バートラム・エヴァンス

[出演]アイヴァー・ノヴェロ、マリー・オールト、アーサー・チェスニー、ジューン、マルコム・キーン

 ロンドンで、金髪の女性ばかりが狙われる連続殺人事件が発生。金髪の娘を持つ下宿屋夫婦のところに、1人の男が下宿人としてやって来る。だが、男の挙動は不審で、男がひっそりと外出した夜、金髪女性の殺人事件が起こる・・・。

 1つのシーンの中で、映像のショットとショットのつながりがおかしいなと思われる部分が多々ある。俳優のメイクが変わっているように感じられたり、時間的につながっていないように感じられたりする部分がたくさんあった。だが、「下宿人」において、そんなことに触れるのは重箱の隅をつつくようなものだろう。

 私が「下宿人」を見たのは恐らく3回だと記憶しているが、最初に見たときのことはよく覚えている。とにかく、ノヴェロ演じる下宿人が怪しくて仕方がなかった。「最後まで下宿人が犯人かどうかは明らかにしたくなかった」と、ヒッチコックフランソワ・トリュフォーとのインタビューで語っている。だが、当時スターだったというノヴェロを悪役には出来なかったと。少なくとも私が始めて「下宿人」を見たときは、ノヴェロという役者のことは全く知らなかった。そのため、純粋に下宿人の怪しさを味わうことが出来たように思える。

 ヒッチコックはとにかく下宿人を怪しげに撮っている。ドアを開けて初めて下宿人が映画に登場するときは、「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922)の吸血鬼を思わせる怪しさだ。大げさなノヴェロの表情は、時にハンサムぶりを発揮し、時に邪悪さを感じさせる。有名なのは、2階で部屋の中を歩き回る下宿人を、1階にいる下宿屋夫婦が不安がるシーン。ここでは、透明なガラスの上を歩く下宿人の映像と、1階から天井を撮影した映像を二重露出で撮影するという工夫がされている。火箸を取るだけでも、いちいち火箸を取る手がアップになったり、ニヤっと笑って見せたりと、とにかく怪しげであることをアピールする。

 殺人事件を取り上げ、1人の人間が犯人かもしれないという1点に力のすべてを注ぎ込んだような映画は、「下宿人」が作られるまでなかったのではないだろうか。少なくとも私の知る限りはない。その点で、「下宿人」は素晴らしい映画だと思うし、まさしくヒッチコック映画であると言っていいだろう。

 といった点を除いても、オープニングだけでも特筆すべき映画であることは触れておく必要がある。被害者である金髪の女性の悲鳴から始まり(ここでは後ろからライトが当てられ、金髪が強調されているという)、「今宵、金髪の巻き毛が・・・」という舞台のネオン、事件を伝える記者がタイプを打つ様子、電光掲示板で表示される事件の概要とそれを見つめる人々・・・・といったショットが短い間隔で紡がれていく。そのテンポの良さ、物語に見る者を引きこんでいく手際の鮮やかさは見事だ。少なくとも、金髪の女性の絶叫で始まることは、初めて見た時から忘れていないし、これからも忘れないだろう。

 「ヒッチコック、映画史に登場」である。


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