エッサネイ時代のチャップリン映画の特徴

 エッサネイ時代に、チャールズ・チャップリンはペーソスを感じさせる作品を作るようになっていく。その代表作が、「チャップリンの失恋」(1915)である。

 「チャップリンの失恋」は、チャップリン演じる浮浪者チャーリーが、農園の娘を悪漢から助けてやる。娘に恋心を抱くチャーリーだが、娘にフィアンセがいることを知ると、静かに去っていくという内容の作品。この作品は、大きな道を去っていくラストシーンが初めて登場する作品でもある。

 エッサネイ時代に、チャップリンの人気は決定的になっていく。その人気は、「お客があまりにも激しく笑うために、チャップリンの映画を二週間も上映した後は、客席のボルトを固く締め直さなければならなくなる」(「フォトプレイ」誌にのった映画館主の話)という話が残っているくらいだ。

 チャップリン映画の人気の秘密については、浮浪者という社会の底辺にいるキャラクターが、仕事のボスや金持ちの女性を痛めつける様子に労働者たちが共感を覚えたという点があるだろう。この浮浪者というキャラクターは、チャップリンの大きな武器となる。チャップリン自身は浮浪者について次のように語っている。

「こいつはいろんな面をもっているんだよ。浮浪者、紳士、詩人、夢想家、孤独な人間で、つねにロマンスと冒険を心に描いている。彼は自分が科学者で音楽家、公爵、ポロ選手だと、人に信じさせることだってできる」

 チャップリン自身は自虐的と言えるほど、映画の中のチャーリーを痛めつけもした。自虐趣味について、チャップリンは次のように述べている。

「こうした自虐趣味は、長いあいだ他民族の中で暮らしてきたユダヤ人が、そこで生き延びるための知恵として、鋭い人間観察眼と共に培ってきたものであり、アメリ喜劇俳優の中には、マルクス兄弟をはじめとしてユダヤ系の人間が非常に多い」

 自虐趣味自体のみによって、チャップリン映画が人気を得たわけではない。チャップリンはそこに味付けをした。たとえば、人が壁にぶつかることで笑いが生まれるところに、チャップリンは反射的に帽子を取って壁に向かって謝るといった芸を付け足したのだった。

 チャップリンの芸というと、他にも様々なものを小道具に命を吹き込むというものもある。その点についてロバート・スクラーは次のように書いている。

チャップリンによる生物と物質の魔術的変貌は、いずれも人間の想像力により、人間の動きを通じて生まれたものであり、カメラ操作や現像のプロセスの助けをかりていない。つまり、チャップリンの手法によって、映画の幻想ははじめてトリック写真の領域を越えたのである」(「アメリカ映画の文化史」)

 理由は正否はともかくとしても、とにかくチャップリンはエッサネイ社でその人気を決定的なものする。1915年に春にはニューヨーク・ヘラルドが、「チャップリンの人気は、メアリ・ピックフォードの人気に取って代わったようである」と書いている。

 この年公開されたチャップリン映画としては、次の作品がある。「チャップリンの役者」「アルコール夜通し転宅(酔いどれ2人組)」「チャップリンの拳闘」「アルコール先生 公園の巻」「チャップリンの駆落」「チャップリンの失恋」「アルコール先生海水浴の巻」「チャップリンの仕事」「チャップリンの女装」「チャップリンの掃除番」「チャップリンの舟乗り生活」「チャップリンの寄席見物」。



(映画本紹介)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

映画作品のみならず、映画とアメリカ社会全般を幅広く眺めた1冊。検閲という映画に大きく影響を与える事象についても触れられている。