エッサネイ時代のチャップリン
1914年にキーストン社から映画デビューし、瞬く間に人気を集めたチャールズ・チャップリンは、1915年にはエッサネイ社に移籍して映画製作を行っている。
エッサネイ社との契約により、チャップリンは原作・監督・主演とすべて自らが行うことが出来る立場となっていた。エッサネイ時代にチャップリンは、以後の映画製作において重要なパートナーとなる2人の人物と出会っている。
1人は、カメラマンのローランド(ロリー)・トサローである。トサローは固定した画面を好むチャップリンの意向を汲んだ撮影を行い、以後、チャップリン映画には欠かせないカメラマンとなっていく。
もう1人はヒロインとして起用したエドナ・パーヴィアンスである。「夜通し転宅」(1915)で共演した後は、チャップリン映画に欠かせないヒロインとして活躍していく。エドナは他社から15倍の給料で誘われても断って、チャップリン映画に出演したという。ちなみに、チャップリンとエドナは付き合っていたが、エドナに他の男性ができて関係が終わったという話もある。その後、エドナは愛人とのスキャンダルに巻き込まれて、女優生命の危機に追い込まれるが、チャップリンは彼女に役を見つけてやる努力を続け、1958年にエドナが死ぬまで給料を払い続けたと言われている。
ちなみに、チャップリンが入社した当時のエッサネイ社には、後にセシル・B・デミルの映画でスターとなるグロリア・スワンソンが所属しており、チャップリンの映画にも出演した。だが、スワンソンはチャップリンの演技にうまく反応できず、チャップリンの相手役はエドナ・パーヴィアンスになったと言われている。一方で、スワンソンは、「私は初めから喜劇女優ではなくて、シリアスなドラマの女優になりたかったので、あのときはわざとチャップリンに非協力的な態度をとった」と語っている。だが、スワンソンはその後、「水着美人」としてマック・セネット作品に出演するようになる。ちなみにスワンソンは、マック・セネットのスタジオにやってきてすぐにウォーレス・ビアリーと恋に落ち、17歳で結婚するも、2ヶ月で破局。原因は、妊娠したスワンソンにビアリーが嘘をついて堕胎薬を飲ませたためともいわれている。
(映画本紹介)
無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)
- 作者: ジョルジュサドゥール,Georges Sadoul,丸尾定,出口丈人,村山匡一郎,小松弘
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 1997/07/01
- メディア: 単行本
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映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。