失われた技法 染色と着色

 今では死語だろうと思われるが、一昔前の映画のポスターやチラシをには、「総天然色」という文字を見ることができる。私は昔からこう思っていた。別に「カラー」と書けばいいじゃないかと。その理由が、サイレント映画を見ていてわかった。それは、「総天然色」以外にもカラー映画が存在していたからなのだ。つまり、人工のカラー映画が。

 サイレント時代のカラー映画については2種類のものがある。1つは「着色」された映画であり、もう1つは「染色」された映画である(この用語は厳密に定義されているわけではない)。

 「着色」とは、フィルムに直接筆などで着色していったものだ。フィルムのすべてに着色するのではなく、衣装などの一部分に着色されていることが多い。また、ジョルジュ・メリエスの幻想劇など、ファンタジックな内容の作品にもよく使われている。映画草創期のかなり初期の頃から実施された手法である。

 ネガフィルムに着色してポジフィルムにダビングするわけではなく、ポジフィルムの1コマ1コマに手作業で着色するため(技術的な改良はされていったとしても)、非常に手間のかかる作業である。また、色がはみ出したり、コマごとに微妙な差異が出たりと、仕上がりによっては非常に見づらいものになってしまっているものもある。

 「染色」は、フィルム全体を染めてしまうという手法だ。単純に映画全体をオレンジにしたり、青にしたりというものもあれば、シーンごとに色を変える場合もある。例えば、昼のシーンは通常のモノクロで、夜のシーンは青くするといった方法で、現在の時間帯を伝えるといった方法や、屋外はオレンジで室内は通常のモノクロする方法で、場所を伝えるといった方法もとられた。多少複雑な使い方では、青に染色された室内のシーンで、人物が電灯をつけると通常のモノクロに変わるという手法で、明るくなったことを示したりもした。

 染色はフィルム自体を染め上げるために、着色のような1コマずつの手作業と比較すると、手間は格段に少なくて済んだ。そのため、サウンドトラックがフィルムに付くまでのサイレント期においては、非常にポピュラーな手法となった。製作者によっては、シーンごとに色の指定をする者もあった。

 ちなみに、外国で発売されたサイレント映画のDVDを購入すると、「tinted」と書いてあることがある。「tinted」とは何のことかというと、フィルムが染色されていることを意味している。

 着色や染色された映画は、総天然色のカラーとは別のものであることは指摘しておきたい。着色はモノクロの中に色が浮き上がる印象が強く、上手に作られたものはきれいだが、決して現実的ではない。染色も、映画の雰囲気を見事に醸造していることがしばしばあるが、現実の夜は決して青くないという意味では、現実的ではない。

 サイレント映画は不自然の世界だ。人々の言葉は私たちには聞こえない。現実音も聞こえない。着色も染色は、現実的ではないサイレント映画にあった手法であると言える。その意味で、着色や染色がトーキー時代には失われた技術となったのは当然のことかもしれない。映画はトーキーになり、間違いなくサイレントよりも現実に近いものになったのだから。