ウーファ社とドイツの映画政策

 ドイツでは、1917年に設立されたウーファ社が、ライバル会社を吸収していった。エーリッヒ・ポマーが設立したデクラ・ビオスコープ社も統合されるが、映画製作の自主性は保たれたという。ウーファ社の目的は独占であり、これは政府によっても奨励され、後援された。1921年にはアメリカのフェイマス・プレイヤーズ社がドイツでエーファ社を設立したが、挫折している。

 一方で、エルンスト・ルビッチポーラ・ネグリエミール・ヤニングスといった人材をウーファ社は獲得したが、彼らは他の国や他の会社の元へと移籍してしまう。

 ウーファ社が製作した映画としては、大金を盗んだ男が世界を逃げ回る「無名の怪傑」(1921)がある。「無名の怪傑」は国際的なヒットを記録し、ドイツ映画の国際化に貢献したと言われている。

 また、外国映画を割当制(全体の15%)とすることが決定され、1921年から実施されている。他には、第一次大戦後、検閲は映画製作者による自主検閲が行われていたが、1921年には検閲が復活している。