映画評「チャップリンの黄金狂時代」

黄金狂時代 (2枚組) [DVD]

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ  [原題]THE GOLD RUSH  [製作]チャールズ・チャップリン・プロダクションズ  [配給]ユナイテッド・アーティスツ

[監督・脚本]チャールズ・チャップリン  [撮影]ローランド・トザロー

[出演]チャールズ・チャップリンジョージア・ヘイル、マック・スウェイン、トム・マーレイ、ヘンリー・バーグマン、マルコム・ウェイト

 ゴールド・ラッシュに沸くアラスカ。1人の探鉱者が山に登るが、吹雪で小屋に閉じ込められた上、餓えに苦しむことになる。何とか生き延びた探鉱者は、町の酒場の歌い手であるジョージアに恋するようになる。

 「この作品のチャーリーこそ、みんなの記憶に残して欲しい」とチャップリン後年語ったという、チャップリン自身もお気に入りの作品である。「巴里の女性」(1923)でシリアス・ドラマを監督し、その手腕を高く評価されたチャップリンは、一時期コメディから離れようと考えていた時期もあったという。だが、ある日メアリー・ピックフォードダグラス・フェアバンクスの家を訪れたチャップリンは、雪の金山に登っていく人々の長蛇の列の写真を見て、「黄金狂時代」のアイデアを得る。さらに、アメリカの入植者たちが餓えから犬から革靴、仲間の死体までを食べたという話にも興味を惹かれ、アイデアを固めていく。

 自身のプロダクションを持ち、自身が株主である配給会社も持っており、大金も持っていたチャップリンは、自由に映画を製作できる立場にあった。「黄金狂時代」は、90万ドル以上と思われる当時としては高額の費用で作られている。ちなみに、「巴里の女性」の製作費は35万ドル程度と言われている。

 アイデアの着想を得た、金山に登っていく人々の長蛇の列の写真は、映画の冒頭で再現されている。実際の雪山のロケで撮影され、大人数の浮浪者を雇って撮影された。当初、チャップリンはロケで撮影しようと考えていたが、雪山の寒さなどから断念し、ほとんどのシーンをスタジオで撮影している。スタジオの撮影では、雪の代わりに小麦粉が使われているという。

 ヒロインの役は当初、リタ・グレイで撮影が行われていた。だが、グレイがチャップリンとの間の子供を妊娠したため、降板。ジョージア・ヘイルが抜擢されることになる。相棒のジム役のマック・スウェインは、キーストン社時代からチャップリンと共演していたコメディアンである。

 撮影では、チャップリンの完璧主義ぶりが発揮されていたという。革靴を食べる有名なシーンでは、繰り返し撮影が行われ、甘草で出来た靴を食べ過ぎたチャップリンは、病院に運ばれたという。ジムが空腹から、チャップリン演じる探鉱者が鶏に見えるシーンでは、当初スタッフの1人が鶏を演じていたが、動きが気に入らずチャップリン自身が演じている。

 こうして完成された映画は、世界中で大ヒットして、チャップリンの名声はますます高まることになる。

 1943年にはチャップリン自身が作曲した音楽が加えられ、チャップリン自身が弁士のように解説やセリフをしゃべるバージョンで再公開されている。現在、多くのソフトで見られるのはこちらのバージョンである。


 「黄金狂時代」は、大きく分けて山小屋でのシーンと、町でのシーンの2つに分けられる。最初の30分の山小屋でのメインは、餓えのシーンだ。あまりにも有名な靴を食べるシーンは、チャップリンの優雅な食事の仕草と、餓えの極限状況にあるというギャップが見事だ。ジムが餓えからチャップリン演じる探鉱者を鶏に見えてくるようになり食べてしまおうとするシーンも、極限状況にありながらもユーモラスである。一つ間違えば、餓えという極限状況を笑いものにしていると批判されそうなシーンであるにも関わらず、チャップリンの見事な芸がそうさせていない。

 町でのシーンは、これまでのチャップリン映画で多く語られてきたものと似た内容である。1人の美しい若い女性に恋をしたチャップリンは、何とか女性の気持ちを自分のものにしようとするというものだ。これまでにも見てきた様々なギャグは磨きを上げて私たちに提示され、楽しませてくれる。チャップリンが得意とするペーソスも、磨きをかけられている。チャップリン演じる探鉱者にジョージアが大晦日への訪問を約束した後、探鉱者は体中を使ってその喜びを表現する。天井の梁にぶらさがり、テーブルを蹴り飛ばし、羽毛の入った枕を引きちぎる。舞い散る羽毛の躍動感は、探鉱者の気持ちと一体化している。他のあまりにも有名なシーンに隠れがちだが、このシーンの素晴らしさは私の心にずっと残っている。

 そして、パンのダンスだ。靴を食べるシーンと並んで、「黄金狂時代」のみならず、チャップリンという存在自体の代表とも言えるパンのダンス。アイデア自体は、チャップリンのオリジナルではない。昔からあるものらしく、ロスコー・アーバックルも「入婿」(1917)の中で披露している。だが、「黄金狂時代」のパンのダンスは、夢の中であるという状況を生かして、まるでチャップリンがスポット・ライトを浴びているように撮影され、チャップリンの芸の素晴らしさを堪能することができる。さらには、芸が素晴らしければ素晴らしいほど、後に夢であることが分かった後に醸しだされるペーソスが映画を支配する。

 「黄金狂時代」で忘れてはいけないのは、特撮についてだ。再び金山へと向かうジムとチャップリン演じる探鉱者は、自分たちが泊まった小屋が朝起きると崖の端っこに移動していることに気づく。ロープ1本で支えられ、徐々に崖へと傾いていくサスペンスとドタバタは、見事なセットとミニチュアの融合で撮影されている。特に探鉱者が勢い余って崖へと飛び出しそうになり、ドアにぶらさがって何とか一命を取りとめる様子を遠景で撮影したショットがすごい。最初はドアからぶらさがる人物は人形だと思っていたのだが、良くみると動いている。チャップリンは、あまり特撮に頼らないし、自身もそのように語っているのだが、「黄金狂時代」には見事な特撮がある。

 「黄金狂時代」のストーリーのキーポイントは「偶然」であるように思える。探鉱者とジムと出会いは、吹雪によって2人が同じ小屋に逃げ込むという「偶然」からだ。そもそも、金鉱探しという行動そのものが、「偶然」に頼る要素が強い。探鉱者とジョージアは、船の中で再開するが、これも「偶然」だ。探鉱者とジムは偶然から親友となり、偶然からジムは金鉱を見つけ、探鉱者とジョージアは偶然から結ばれることになる。それは、まるで人生そのものが「偶然」の積み重なりで出来ていると言っているかのようだ。

 
 チャップリンにとって、「黄金狂時代」は1つのエポック・メーキングといえる作品である。チャーリーというチャップリンが生み出したキャラクターを生かしながら、雪山という極限状況をチャーリーに与えることで、チャップリンはシリアスとコメディは融合できるということを証明して見せてくれる。シリアスとコメディの融合は「独裁者」(1940)や「殺人狂時代」(1947)で頂点を迎えることになる。「巴里の女性」をきっかけに、シリアス・ドラマへの道へ向かうことも考えたというチャップリンが、そうならないでよかったということを心から思う。シリアスなだけの「独裁者」や「殺人狂時代」など想像できないし、もし作られたとして現在ほど多くの人々に見られる作品となったとは思えない。

 「映画を知らない人でも、知っている映画俳優が2人いる。一人はマリリン・モンローでもう一人はチャールズ・チャップリンだ」という言葉を何かで読んだ記憶がある。靴を食べるシーンと、パンのダンスのシーンは、チャップリン映画の数々の名シーンの中でも屈指の名シーンだ。公開当時だけではなく、公開から80年以上を経過した作品にも関わらず、この2つのシーンは多くの人が知っている。人々の記憶に残ることが、傑作の条件の1つだとしたら、「黄金狂時代」はまさに傑作と言えるだろう。


 ちなみに、オリジナル版と1942年に再公開されたバージョンにはストーリー上の大きな違いがある。それは、オリジナル版でのジョージアは、チャップリン演じる探鉱者ではなく、別の人物のことが好きで、ジョージアは好きな男に振られるが、再公開版ではその部分はなくなっている。だが、あまり大きな違いではないのかもしれない。なぜなら、どちらもバージョンでも、ラストの苦さは変わらないからだ。この作品はハッピー・エンドだと言われるし、再公開版のラストではチャップリン自身が「そう、ハッピー・エンドです」とコメントして映画は終わる。だが、オリジナルも再公開版も、ジョージアの気持ちがはっきりとチャップリン演じる探鉱者に向けられているようには描かれていない。どちらも、結ばれた後の2人が幸せに満ち溢れているようには私には感じられなかった。

 また、ジョージアと探鉱者のキス・シーンも削除されている。これは、オリジナル版公開時はジョージア・ヘイルと関係を持っていたチャップリンが、再公開時にはとうの昔に別れていたためにカットしたとも言われるが、真相は分からない。


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