ジャッキー・クーガンの人気に陰り

 チャールズ・チャップリンの「キッド」(1921)で世界中で愛された少年役を演じ、最初の子役スターと言われたジャッキー・クーガンは、この頃になると人気に陰りが見えていた。

 7歳で「キッド」に出演したクーガンは、アメリカ人のアイドルになり、クーガンと母親が買い物に出かけると、1000人以上の群集に囲まれ、警察が出動したという。

 クーガンのキャラクター商品が飛ぶように売れた。クーガン人形は20万個以上、クーガン・チョコレートも生産が追いつかなかったという。ちなみに、クーガン自身は人形1体につき、50セント。チョコレートは半セントのライセンス料を受け取った。そのほかにも、ふで箱や弁当箱、子供服にも名前と絵が使われ、多額のライセンス料が発生した。クーガンの両親は収入を管理するため、ジャッキー・クーガン・プロダクションを設立し、経営を友人のアーサー・バーンスタインに任せた。

 クーガンの両親はもともとヴォードヴィルの芸人だった。母親はヴォードヴィルの舞台で子役スターとして活躍し、父親は映画界入りして「キッド」にも出演していたが、クーガンの任期が高まってからは、マネージャーに専念した。父親は5千ドル、母親は4千ドルの週給をクーガン・プロダクションから得ていたという。

 クーガンは「キッド」のあと、20本ほどの作品に出演した。10歳になる頃にはMGMと専属契約し、破格の50万ドルの契約金を受け取った。

 そんなクーガンは、1927年には13歳になっていた。かつてのかわいらしさは徐々に失われ、その人気は落ちていった。「ジャッキー・クーガンは13歳にして年老いた」と言われた。

 最初の子役スターは、凋落を味わった最初の子役でもあった。