映画評「メトロポリス」

※ネタバレが含まれている場合があります

メトロポリス 完全復元版  (Blu-ray Disc)

[製作国]ドイツ  [原題]METROPOLIS  [製作・配給]ウーファ

[監督]フリッツ・ラング  [製作]エーリッヒ・ポマー  [原作・脚本]テア・フォン・ハルボウ

[出演]アルフレート・アーベル、ブリギッテ・ヘルム、グスタフ・フレーリッヒ、ルドルフ・クライン=ロッゲ、フリッツ・ラスプ、テオドル・ロース、ハインリヒ・ゲオルゲ

 「メトロポリス」は、SF映画の古典として、フリッツ・ラングの代表作として、サイレント期の超大作の1つとして名を残す作品である。だが、多くのサイレント期の古典がそうであるように、不完全な形でしか残されていない。フリッツ・ラングが最初に編集したバージョンは、プレミア上映でしか使用されず、一般公開に際してはかなり短くカットされた。さらに、カットされたフィルムは消失してしまい、もはや最初のバージョンで見ることは出来ない。

 私が見たDVDは、オリジナルの脚本などを元にして、フィルムが失われた部分を字幕によって説明されたバージョンである。このDVDを見ると、失われた部分がかなり地味なシーンなことが分かる。主人公のフレーダーは、協力者を得て、労働者たちに近づこうとするがうまくいかない。この部分が大幅に失われている。その結果、私たちが見ることができるのは金のかかったスペクタクルの魅力に溢れたシーンとなった。この点は、「メトロポリス」をSF大作としてのみ評価することにつながったことだろう。といっても、仮にオリジナルのフィルムが残っていたとしても、それで映画全体が面白くなるのかは正直わからないが。

 アメリカで公開される際の再編集にあたって、劇作家がそれを担当した。その際に、単純に映画を短くする以外に、設定を大きく変えてしまっている点は注目に値する。それは、オリジナルでは、ヒューマノイドを作っている科学者の目的が、愛する女性をよみがえらせるためであるという点である。この設定を再編集にあたり削ってしまい、その後のバージョンでは失われてしまっていたのだ。この変更は、映画のイメージを大きく変える。「メトロポリス」は、科学者の失われた愛を求めるための物語でもあったのだ。

 当時の妻だったテア・フォン・ハルボウとラングが担当した脚本は、メチャクチャだ。いい方を変えれば、ハイブリッドである。SF映画でもあり、階級闘争を描いた映画でもあり、失われた愛を取り戻す科学者の物語でもある。また、SFといいつつも、科学よりも魔術に近い描写も多いし、中途半端にサスペンスも盛り込んでいる。当時はまだSFという言葉自体が一般的ではなかった。さらに、ソ連が誕生し、共産主義は当時の政治的話題の中心の1つだったことだろう。そんな時代に未来を描こうとしたとき、映画は純粋なSFにはならなかったということだろう。

 この映画のラストでは、労使協調こそが最善の道であるという点が強調される。この点は、当時かなり批判を受けたといわれるし、今見ても余りにも安易に感じられる。最終的には、科学の力や人間の頭脳を過信と言ってよいほど信じており、科学者に代表される魔術的な力やヒステリーに代表される人間の昂ぶる感情を否定しているように見える。それはそれでよいのだが、とにかくごちゃ混ぜのストーリーをまとめるにはあまりにも強引に感じられるのだ。

 「メトロポリス」は、メチャクチャなストーリー、拡散したテーマ、強引なラストにも関わらず、魅力的な、あまりにも魅力的な映画である。それはなぜか、理由は簡単だ。「メトロポリス」は、見事な映像の連続だからだ。

 冒頭のオープニング・タイトルからして素晴らしい。光の交錯に続いて「METROPOLIS」も文字が登場するこのタイトルの格好よさといったら、「メトロポリス」まで作られたどの映画も凌駕するヴィジュアルだろう。それに続いて描かれる未来都市、地下の工場といったセットの素晴らしさ。さらには、ヒューマノイドのマリアのロボットの時の造形と、悪のマリアと善のマリアの対比。特に悪のマリアの表情、メイク、何といっても乳首のみを隠した格好で踊るダンスの淫靡さ。時にミュージカルのように形式化された群衆シーンと、人間味を感じさせるカオスに溢れた群衆シーン。はっきりいって、脚本と同じように、統一性はない。しかし、「メトロポリス」には監督が感じられる。

 フリッツ・ラングという監督はどういう監督だろうか?この作品の前に作られた「ニーベルンゲン」や「ドクトル・マブゼ」を見ると、大作を撮ることができる監督であること、そしてサイレント時代の映像技術を見事に取り込んだ作品を撮る監督であること、さらにはヒット・メイカーであったことが分かる。膨大な製作費がかかったという「メトロポリス」の製作が可能になったのは、製作のエーリッヒ・ポマーの献身が大きいようだが、それもラングの映画監督としての腕と、ヒット・メイカーとしての経歴があったからこそであろう。

 「メトロポリス」はラングだからこそ可能なビジュアルに溢れた作品なのだ。ラングは、ポマーとともに「メトロポリス」撮影の前にハリウッドに視察に行き、様々な特撮の撮影法を学び、新型カメラのミッチェルを購入している。そしてその経験を元に、ミニチュアやマット・ペインティングを組み合わせた様々な撮影法で、見事に未来都市を映像化しているのだ。

 ラングが「メトロポリス」で見せる様々な映像技術は、決してすべてがオリジナルではない。しかし、誰もアニメを「メトロポリス」ほど格好良くオープニング・タイトルに使おうとは考えなかった。誰も、マット・ペインティングやストップ・モーションの技術を使って、「メトロポリス」ほど大規模な都市を描こうとはしなかった。誰も、ロボットを映画に登場させるなんて考えなかったし、ロボットであることを理由にして乳首だけを隠したダンスを正当化しようとはしなかった。

 「メトロポリス」はあらゆる映画のパイオニア的作品である。それはストーリーにあるのではない。それはアニメの使い方であり、マット・ペインティングやストップ・モーションの使い方であり、ロボットの使い方においてであり、女体の使い方においてである。言い換えれば映画で描くことが出来るものを広げた作品である。

 「メトロポリス」は興行的に成功しなかったという。それはそうだろう。「メトロポリス」はアヴァン・ギャルド映画なのだから。もし伝統的な家族の愛や、男女の愛をテーマにしていたら、ヒットしていたかもしれない。フリッツ・ラングはそこまで計算できなかったらしい。でも、そんな計算できない人間だからこそ、こんなハチャメチャなアヴァン・ギャルド映画を作り上げることが出来たのかもしれないと思うと、ラングの浅い思慮に感謝したい気持ちになる。


メトロポリス / Metropolis CCP-315 [DVD]

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