ドイツ フリッツ・ラング ヨーエ・マイ・カンパニーでの仕事

 前年に映画監督デビューを果たしたフリッツ・ラングは、脚本家・監督としてヨーエ・マイ・カンパニーと契約した。ここでラングは、テア・フォン・ハルボウと共同で「神秘の影」の脚本を書いた。ラングは監督もしたがったが、大作を扱うには経験不足とマイに却下されている。ラングの自尊心は相当傷ついたという。このことが忘れられなかったためか、ラングは1959年に「インドの墓」として映画化することになる。

 その代わりというわけではないが、ラングは「さまよえる彫像」(1920)を監督している。ハルボウと共同脚本の作品で、また初めてハルボウの脚本をラングが監督した作品である。そしてラングは、この作品だけを監督してマイの元を去り、エーリッヒ・ポマーの元へと戻ることになる。