ジョルジュ・メリエスの最後の輝きとガストン・メリエスの撮影旅行

 かつて世界で最も人気を得た映画製作者だったジョルジュ・メリエスも、この頃にはほとんど映画を製作しなくなっていた。パテ社は1911年に「ミュンヒハウゼン男爵の幻覚」(1911)の製作をメリエスに依頼したが、成功には至らなかった。

 この年(1912年)も、パテ社の依頼でメリエスは「極地征服」(1912)と「シンデレラ」(1912)を製作している。

 「極地探検」は1910年以降増加した極地探検に構想を得て作られた作品で、巨大な機械仕掛けの人形「雪の怪物」が見ものの作品だったが、不入りに終わる。「シンデレラ」はパテ社のフェルディナン・ゼッカが編集し、2巻物にカットして公開されたが、ヒットしなかった。

 また、ジョルジュ・メリエスによって製作されるはずだった映画の代わりに、西部劇を製作してアメリカのMPPCに映画を供給していたジョルジュの兄であるガストン・メリエスは、7月にタヒチへ撮影隊を組んで出発した。ボラ=ボラ、タヒチで撮影したが、ニューヨークへ送ったネガは高い水温で現像したために使い物にならなかったという。他にも、ニュージーランド、オーストラリア、ジャワ、サイゴンカンボジア、日本で撮影を行ったが、興行的にヒットしなかった。遠征費用でガストン・メリエスは破産し、会社はヴァイタグラフ社に売却されてしまうことになる。



(映画本紹介)

魔術師メリエス―映画の世紀を開いたわが祖父の生涯

魔術師メリエス―映画の世紀を開いたわが祖父の生涯

映画草創期に活躍した映画製作者であるエンターテイナー、ジョルジュ・メリエスの伝記。