日本における「ジゴマ」公開騒動
1911年は、1本の映画が社会現象に発展した年としても記録されている。11月に公開された「ジゴマ」(1911)がそれである。フランスのエクレール社が製作したこの犯罪映画は、金竜館で上映され、大ヒットした。1912年5月には続編も公開され、1年にわたり「ジゴマ」の話題は続いた。
日本映画興行の祖でもある駒田好洋が地方に巡業興行を行った。この頃の駒田は、外国の映画を主に上映し、教育上役立つと宣伝した映画も上映したため、地方の教育界には暖かく迎えられたという。こういった事情もあり、地方での「ジゴマ」の上映においては、否定的な意見はそれほどなかったという。
「ジゴマ」のヒットは映画の忠実なノベライズから、名前を使っただけのものまでの多くの書籍が刊行されたという。特に地方においては、書籍が「ジゴマ」の流行を促したと言われている。さらに、柳の下のどじょうを狙った日本製ジゴマ映画(「新ジゴマ大探偵」「日本ジゴマ」など)が作られた。
「ジゴマ」は少年たちの好奇心を刺激し、玩具のピストルで通行の中の子供や女性を脅すなどの事件が頻発した。「ジゴマ」騒動を憂えた当局は、後に内務省令による活動写真検閲規則を実施する。いわゆる検閲制度である。
これまで、1906年にフランス・パテ社「宗教裁判」が宗教審問のすさまじさを理由に神田錦輝館で上映禁止となったり、1908年にフランス映画「仏蘭西革命十六世の末路」が皇族の扱い方を理由に神田錦輝館で上映禁止となったりはしていたが、映画の規制は体系だって行われてはいなかった。
「ジゴマ」と名の付く映画や演劇は禁止されたが、制度ができた頃には「ジゴマ」のブームもひと段落着いており、興行的に大きな影響はなかった。1912年には「ジゴマ」の慰霊祭が駒田好洋の発案で計画されたが、警視庁から中止を勧告され、中止されている。
「ジゴマ」以外にも、この頃には輸入映画もストーリーを持ったものが多くなった。「ドンキホーテ」「ファウスト」「ロミオとジュリエット」など有名作の舞台劇を映画に映したものも多く輸入され出した。これらの作品は、舞台をそのまま撮影したものが多かったという。
この頃は、ドイツ、フランス、イタリア、デンマーク、イギリス、ロシアなどから多くの作品を輸入されたが、アメリカはまだそれほど多くなかったという。
吉沢商店と福宝堂は海外の出張員から直接買い入れ、横田商会やエム・パテーは貿易商から買い受けたという。
ジゴマについては下記のサイトに詳しい。
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/meiji/topics/topi29.htm
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