映画評「スージーの真心」

 原題「TRUE HEART SUSIE」 製作国アメリ
 D・W・グリフィス・プロダクションズ製作 アートクラフト・ピクチャーズ配給
 製作・監督D・W・グリフィス 出演リリアン・ギッシュ、ロバート・ハロン

 スージーとウィリアムは幼馴染み。大学に進みたいが経済的に苦しいウィリアムのために、スージーは匿名で学費を都合してあげる。大学を卒業したウィリアムは、スージーの愛に気づかず、派手な生活を送る女性ベッティーナと結婚してしまう。それでも、スージーは陰ながらウィリアムのことを思い続ける。

 「イントレランス」(1916)以後の、グリフィス=ギッシュのコンビと言えば、同年に作られた「散り行く花」(1919)や「東への道」(1920)が有名だ。だが、この作品もまた地味ながらしっかりとした作品である。

 ギッシュが演じる幼馴染みを思い続けるキャラクターは、あまりにもいい娘すぎる。正直言って古臭いとも言えるし、見ていてイライラしてくるほどだ。グリフィスはイノセントな女性像を好んでいたことは知られており、そのことがセシル・B・デミルのセックス・アピール映画の人気に象徴される時代の変化についていけなかったとも言われている。だが、グリフィスが理想とした女性像は、リリアン・ギッシュという女優によって見事に映像化されている。

 グリフィスの理想像を具現化した女性として、リリアン・ギッシュは忘れることができない存在である。この作品でもギッシュは、少女の頃のあどけなさと、女性に成長した後の可憐さと美しさを見事に演じている。ギッシュはちょっとした表情で、怒りを、悲しみを、嘆きを表現することができる女優である。ウィリアムが自分のもとに戻ってくると信じて、派手な格好や化粧をしてこなかったスージー。だが、意を決して服装を変えて化粧をしてウィリアムの家に向かうと、ちょうどそのときウィリアムは別の女性に結婚を申し込んだところだった。それまでの人生で最も美しい姿となったスージーは、それまでの人生で最も悲しい表情を見せる。別名で書かれているグリフィスの脚本はストレートだが、残酷だ。

 古臭い物語を、貴重な小品の佳作として成り立たせているのは、ギッシュを始めとする演技陣による。誠実だが優柔不断なウィリアムは、グリフィス映画常連のロバート・ハロンが演じている。青年から大人の男までを演じることができるハロンは、邪気がないゆえにスージーを苦しめる役柄を演じきっている。スージーと対象的な存在として登場するベッティーナはクラリン・セイモアが演じている。スージーと対象的なだけであって、決して悪役ではないベッティーナをセイモアは自然に演じてみせ、ウィリアムと同じように無邪気にスージーを傷つける。

 グリフィスは自らの理想の女性をギッシュに託し、理想の女性の苦難と幸福の物語を描き切っている。ここには映画史を変革するような出来事は何もない。だが、ここにはグリフィスだから描けるのではないかと思わせる無邪気さの塊がある。そして、この無邪気さは私の心を暖めてくれる。