D・W・グリフィス 「東への道」と映画への情熱

 失敗作が続いていたD・W・グリフィスは、ある舞台用メロドラマの映画化権を購入していた。その金額は約17万ドルで、「国民の創生」(1915)の製作費の金額を上回っていた。リリアン・ギッシュは古臭い内容のメロドラマと思い、関係者の誰もがグリフィスの見識を疑ったという。

 これまでグリフィスは脚本を他人に執筆してもらったことがなかったが、「東への道」はアンソニー・ポール・ケリーという人物を1万ドルで起用した。だが、撮影の際には結局ほとんど使われなかったという。

 撮影は、吹雪の撮影も含めてロケ中心で行われ、8ヶ月かかった。完成版のフィルムは4千メートルだったが、撮影には7万6千メートルのフィルムを費やしたと言われている。撮影吹雪のシーンが不可欠だったため、グリフィスは「吹雪にならなかったときのための保険」に加入したと言われている。また、主要キャストの生命保険に加入したという。実際、吹雪の撮影ではリリアン・ギッシュは1度失神したというし(すぐに撮影に戻ったという)、肺炎で死んだスタッフもいたと言われている。さらに、リリアンが流氷の上で気絶してしまうシーンでは、自分の手と髪を水につけることをリリアン自ら提案したという。グリフィスに受け入れられ撮影が始まると、髪はすぐに凍り、手はやけどをしたように痛んだという。また、流氷からリリアンが救出されるシーンも、実際にその状況で撮影されたという。

 「東への道」の撮影はかなり危険な撮影となった。リリアン・ギッシュはその当時の撮影について、自伝の中で次のように語っている。当時の人々の映画にかける熱い思いの一端が伝わってくるようだ。

 「映画の撮影にこんなに骨身を削って打ち込むことは、たぶん今日の人の目には馬鹿馬鹿しく見えるかもしれないけれども、この当時は格別不思議なことではなかった。グリフィスと仕事をする人々は何らかの形で映画に全面的に関わりあうことになった。狙い通りの正確で真実の映像を伝える完璧な映画を作るためならどんな犠牲であろうと払い過ぎるということはなかった。私たちはみな心の中で主役は自分ではない、重要なのは映画だけと思っていた。グリフィスにしても同じ思いだった。重要なのは作品であり、自分ではない、と」

 「東への道」といえば、氷の上で失神したリリアン・ギッシュ演じる主人公が、滝に落ちる寸前で救われるシーンが有名だ。このシーンについて、後にサスペンス映画の巨匠となるアルフレッド・ヒッチコックは、「こんなにスリルのあるものを見たのは初めてで終わり」だと語っていたという。このシーンは、ニュース映画から取ったストック・ショットに、ロケの撮影を組み合わせて編集されている。また、このシーンの撮影で氷を爆破した際にグリフィスが負傷し、演出は当時監督として活躍していたエルマー・クリフトンが行ったとも言われている。

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 ちなみに、「東への道」には出産シーンがある。当時、出産シーンは検閲によって規制される対象となりがちだった(当時の検閲は州ごとに行われていた)。ペンシルヴェニア州の厳しい検閲を通すために、試写の際に問題になりそうなシーンになると、グリフィスは検閲官が好きな話題を投げかけて気をそらせたという。

 「東への道」は15ヶ月の上映で450万ドルの興行収入を得ることに成功した。「国民の創生」(1915)に次ぐヒットとなり、苦境に陥っていたグリフィスの財政状況を救うことになる。