映画評「死滅の谷」

!注意! 結末に触れている部分があります


 製作国ドイツ 原題「DER MUDE TOD」 英語題「DESTINY」
 監督・脚本・編集フリッツ・ラング 脚本テア・フォン・ハルボウ 製作エーリッヒ・ポマー
 出演ベルンハルト・ゲッケ、リル・ダゴファー


 フリッツ・ラングが初めて注目を集めた作品とされる「死滅の谷」は、夢幻的でありながら現実的であり、重々しくもありながら軽妙でもあるという見事な作品だ。

 死神に恋人の命を奪われた女性。女性は死神に、恋人を生き返らせて欲しいと懇願する。死神は3つの違う時代、違う場所で死に行く男性を救うことができたら、生き返らせてあげようと約束する。

 幸せの絶頂にいる男女に突如訪れる悲劇。女性は「愛は死よりも強い!」と語り、悲劇を受け入れられない。女性は、様々な時代・様々な場所で運命に抵抗するも失敗に終わる体験を積むが、それでもやはり受け入れられない。死神が提案する新たな約束は、生きている人間を死神に提供したら、生き返らせてあげようとするものだった。女性は、いろんな人に「あなたの命を欲しい」と頼むが、拒否される。それでも、まだ恋人の死を受け入れられない。最後、生まれたばかりの赤ん坊を死神に提供しようとする自分に気づき、ようやく恋人の死を受け入れる。だが、女性は死に負けたわけではない。自分の命を捨てることで、あの世で結ばれようとするのだった。


 メロドラマである。「愛を勝ち取る」という命題に挑む女性のメロドラマである。だが、単純なメロドラマにはなっていない。死の意味を、運命の意味を見る者に強く感じさせながらも、「愛を勝ち取る」ために女性が戦うという複雑なメロドラマだ。


 おそらくは、途中に挟まれる3つのエピソードがなくとも成立する映画だ。実際、3つのエピソードはストーリーを深めるという役割よりも、見るものを楽しませるという役割の方が大きいように感じられる。異国情緒溢れるペルシア、ベネチア、中国の物語はその舞台設定だけで楽しませてくれる。ペルシアのエピソードではアクション映画的な楽しみを、ベネチアのエピソードでは陰謀劇的な楽しみを、中国のエピソードでは映像トリックの楽しみを私たちに感じさせてくれる。特に、中国のエピソードの奇妙な設定はコントのようで、ミニチュアと二重露出を組みあわせて表現された小人の軍隊や、魔法の杖によって人間やものを様々な形に変えてみせるという面白さは、他の部分と比べて異色の楽しさを持っている。

 それでも、3つのエピソードは必要だ。その理由は、「死滅の谷」が死神の映画でもあるからだ。死神は自分の仕事に疲れている。死神は言う。「私の仕事が厳しい事を解って欲しい。これは苦しい仕事なのだ。神の意志に従っているだけなのに、人の苦しみを見守るだけでなく、憎悪まで買っていることに疲れ果てているのだ」と。死神は、自分の仕事である「死」が憎むべきだけの存在ではなく、人間に平等に訪れる「運命」だということを3つのエピソードを提供することで理解してもらおうとしているかのようだ。主人公の女性は、3つのエピソードだけではわからない。それでも、死神にとってはわかってもらうために必要なエピソードなのだ。

 フリッツ・ラングと妻であるテア・フォン・ハルボウの脚本は、重くなりすぎず、軽くなりすぎず、絶妙なバランスで成立しながらも、「死」や「運命」についての哲学的なメッセージにもなっている。


 フリッツ・ラングは、「カリガリ博士」(1919)を代表とするドイツ表現主義的な映像でありながらも、抽象的になりすぎずに「不滅の谷」を演出している。また、大量の蝋燭の灯る部屋などの美しい映像を盛り込みながらも、映像に溺れずに分かりやすくストーリーを語っている。多用される二重露出の映像も、幻想的でありながら、幻想的であることのみを目的とはせずに、ストーリーを語る一助として使用している。また、ロングショットが効果的だ。死神が城壁の前に一人立つショットといい、恋人が消えてしまった女性が街に探しに行くショットといい、「孤独」を表現するのにこれ以上適した方法はないといってもいいほど、ロングショットがうまく使われている。

 一言で言うと、フリッツ・ラングの演出はきわめて手堅い。美しい映像、幻想的な映画的トリックといったもので見るものを幻惑しながら、ストーリーを語るという基本をおろそかにはしていない。


 「不滅の谷」は、内容・映像ともに古臭さを感じさせない。サイレント映画であるが、むしろサイレントでなくては醸し出せない雰囲気を保持している。また、その哲学的なメッセージは、映画が娯楽だけではなく、哲学的なものを表現できることを示している。あまり有名な作品ではない。しかし、フリッツ・ラングの、そして映画の可能性を感じさせるのに十分な見事な作品となっている。


 ちなみに、この作品にルイス・ブニュエルは強く影響を受け、後に映画監督となるきっかけのひとつになっているのだという。


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