映画評「モヒカン族の最後」

 原題「THE LAST OF THE MOHICANS」 製作国アメリ
 モーリス・トゥルヌール・プロダクションズ製作 アソシエイテッド・プロデューサーズ・インク配給
 監督クラレンス・ブラウン モーリス・トゥルヌール 原作ジェームズ・フェニモア・クーパー 出演ウォーレス・ビアリー

 イギリスとフランスの植民地戦争が続いていた1757年のアメリカを舞台に、1人のイギリス人女性と最後のモヒカン族であるアンカスの恋愛を描く。

 恋愛といっても、明確に愛を告白しあうわけではない。映画の主眼は、恋愛よりも1757年の植民地を巡る戦争に巻き込まれるネイティブ・アメリカンの行動に置かれているように思える。中でも、フランス側についたヒューロン族の残虐描写に力が置かれている。

 ヒューロン族のよる虐殺のシーンは強烈だ。動くものはみな殺してしまえと言わんばかりの暴虐ぶりで、赤ん坊までもが何の容赦もためらいもなく殺されていく。ここまでの描写は今のハリウッド映画で見ることは珍しい。ヒューロン族による白人の虐殺は史実のようだが、この映画で描かれている描写のような残酷きわまるものであったかはわからない。アメリカ原住民がインディアンと呼ばれ、極悪非道な存在と描いても問題のない時代であったからこそ可能な描写だといえるだろう。群集の捉え方といい、積み上げられる死体の生々しさといい、内容の正しさとは別のところで、虐殺のシーンは映画が最も精彩を放っているということは否定できない。

 ラスト近くで、イギリス人女性のコーラはあっさりと殺される。これがヒロインの死に様かと思わせるほど、あっさりと殺される。これもまた衝撃だった。映画序盤や中盤であればわかる。だが、もう後10分くらいで終わるというところでそれは起こる。好きとか嫌いとか、正しいとか正しくないを超えて、衝撃的という意味で印象に残った。

 イギリス人女性コーラと最後のモヒカン族であるアンカスの恋愛は、さりげなくだが描かれている。2人が見つめあうシーンのクロース・アップなど映像でも語られているが、字幕がなければはっきりとはわからないかもしれない。また、タイトルでもある「モヒカン族の最後」という悲劇性も、この作品では字幕で説明されるのみであまり伝わってこない。

 演出は時折冴えを見せる。前述の虐殺シーンもそうだし、アンカスがヒューロン族のボスと戦うシーンでは捉えられる見つめ合う2人のクロース・アップは。迫力に溢れている。「散り行く花」(1919)では、グリフィスはクロース・アップによって、リリアン・ギッシュ演じる主人公の心象を表現していた。効果は違うが、どちらもクロース・アップを発展させて使用している。

 脚本は主題が明確ではなく、字幕に頼りすぎているように思える。コーラとアンカスの恋愛も、最後のモヒカン族の悲劇も、字幕がなければ伝わってこない。それでも、この映画には忘れられないシーンがあるし、冴えた演出がある。

 監督にクレジットされているのは、モーリス・トゥルヌールとクラレンス・ブラウンの2人だ。撮影途中で病気になったトゥルヌールに代わって、長年トゥルヌールのアシスタントを務めたブラウンが監督を務めたという。ブラウンに監督が代わった後も、トゥルヌールがラッシュを見て指示を出していたと言われるが、ブラウンは後年自分の役割の大きさを主張したという。結局、どうだったのかはわからない。

 トゥルヌールは当時、グリフィスと並ぶほど高く評価されていた。特に美しい映像に定評があった。この作品では室内のシーンでその片鱗が見られるが、荒々しい殺戮シーンや群集シーン、美しい自然の方が印象に残る。屋外のシーンは主にブラウンが担当したとも言われているが、これもまたどちらの功績なのかはわからない。


 ジェームズ・フェニモア・クーパーによる原作は、白人でありながらインディアン的な生活を送るホークアイという人物が共通の登場人物である「革脚絆物語」の1つである。なので、原作では白人社会とインディアン社会をつなぐ役割としてホークアイの存在は大きいのだが、映画ではいてもいなくてもいいくらいの脇役の1人となっている。

 ストーリーはほぼ踏襲されているが、原作の方が冒険物語的な色合いが大きい。1つ1つの戦いや、コーラやアリスを救出のシーンは映画よりも工夫が凝らされ、サスペンスがある。映画ではヒューロン族による虐殺の描写にアクション的要素を詰め込んでいるように思える。限られた上映時間を考えると、このように1つに凝縮するという方法はうまくいっているように思える。

 映画のほうはコーラとアンカスの恋愛の面が強調されている。原作では、2人の関係は雰囲気から感じ取れるが、映画でははっきりと惹かれあっていることを示している。

 原作と映画の最大の違いは、マンロー大佐が降伏をする理由にある。原作では、別の砦の仲間に救援を依頼するが拒否されることによって降伏するのだが、映画では救援は来るのだが身内に1人裏切り者が出るために降伏することになる。結果的には同じだが、意味合いはまったく異なる。原作はイギリス軍全体の名誉が損なわれるが、後者では1人の人物に責任がかかりイギリス軍全体の名誉はあまり傷つかない。映画にする上での配慮が感じられるが、コーラやアリスがたどる運命の過酷さが弱まっているようにも思える。

モヒカン族の最後 [DVD]

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