映画評「文化生活1週間(マイホーム)」

 原題「ONE WEEK」 製作国アメリ
 ジョセフ・M・スケンク・プロダクションズ製作 メトロ・ピクチャーズ・コーポレーション配給
 監督・脚本エドワード・F・クライン 監督・脚本・編集・出演バスター・キートン 出演シビル・シーリィ

 新婚のバスターは、伯父から組み立て式の家をもらう。だが、かつての恋敵が箱に書かれた番号を書き換えてしまったため、出来上がった家は欠陥だらけになってしまう。

 ロスコー・アーバックルが移籍したことによる、キートン初の単独主演作でもあり、初監督(クラインと共同)も担当した作品。ちなみに、キートンはこの作品の前に「ハイ・サイン」を撮っているのだが、出来が悪いと判断し公開を延期している(1921年に公開)。

 素晴らしい。キートンは初監督、初主演にして、自身の最高作の1つを作り上げたと言ってもいい。アーバックルとの共演作もおもしろい作品が多く、コンビ最終作である「自動車屋」(1920)を見終えた後は、少し寂しい気もしたが、「文化生活1週間」を見るとそんなことは吹っ飛んでしまった。

 キートンは自身の高い身体性をうまく使っている。自分を使う術を知っている。並走する2台の車の両方に足を乗せて走り、その間を通るオートバイとぶつかるギャグで、冒頭からキートンは真骨頂を見せる。他にも体当たりのギャグが満載で、単独主演になることでキートンのエッセンスが凝縮されている感がある。

 組み立て式の家をモチーフにするというアイデアがいい。大工仕事のような危険さを秘めた仕事はキートンによく合う(木材で組み立てた家の一部分がキートンに向かって倒れるが、窓の部分にいるために無事というギャグが「初舞台」(1919)に続き使われている。そして、長篇でもまた使われることになる)。

 他にも、キートンが出演していなくても笑えるギャグが満載だ。箱の番号を書き換えられることで、出来上がった家が「カリガリ博士」(1919)のセットのように変形しているというギャグはキートン抜きでもおもしろい。中でも最高なのは、移動させなければならなくなって家を車で引っ張るシークエンスだ。線路上で立ち往生してしまった家と車を結びつけるために、バックシートと家を釘で打ちつけてエンジンをかけるが、車はシートを残して前に進んでいってしまうというシュールなギャグも面白いが、秀逸なのはそれに続いてのギャグ。画面左奥から汽車が走ってくるのを見たキートンと妻は慌てるがどうすることもできない。いよいよぶつかる!と思うと、汽車は隣の線路を走っていく。ホッと安心していると、画面右手前から突然汽車がやってきて家を粉々に粉砕して走り去っていってしまうという2段階のギャグとなっている。

 汽車のギャグでは画面構成が素晴らしい。1台目の汽車が通り過ぎるとき、画面左奥はよく見えるために汽車が近づいてくるのがわかるが、2台目は、画面右手前で見えないところから汽車がやってくるため、サプライズの効果がある。

 汽車のギャグ以外でも、キートンは2段階のギャグを見せている。たとえば、1階の窓なのにわざわざ梯子で外に出ようとしているというギャグに続いて、梯子に足をかけると梯子がバラバラになってしまうというギャグを用意する。ギャグが2段階になることで、おもしろさが増幅されるし、片方があまり笑えなくてももう片方で笑えるという保険にもなっている。カメラの使い方もうまい。嵐によって家が回転してしまうギャグでは、カメラを回転させることで室内での家の回転を表現してみせる。

 ラストも素晴らしい。汽車によって粉砕された家の残骸に「FOR SALE」の看板を立て、しかも家の作り方の説明書を置いて(これも2段ギャグだ)、キートンと妻は去っていくのだ。完璧と言ってもいい。

 キートンが映画の中で笑わず、「ストーン・フェイス」と言われているのは有名だ。アーバックルとの共演作では、アーバックルの人懐っこさとキートンのストーン・フェイスはうまく噛み合っていた。単独主演となり、アーバックルの人懐っこさの役割を果たしているのは、ヒロイン役のシビル・シーリィだ。シーリィは明るく、働き者のキャラクターを好演している。しかも、肌の露出もするし(石鹸を拾うシーンでは、カメラマンがシーリィの胸が映らないようにレンズに手で蓋をするというギャグがある)、スタントもこなす。「文化生活1週間」の影の功労者と言ってもいいだろう。

 キートンは「文化生活1週間」で単独主演、監督のスタートを見事に切っている。これから先のキートンの作品が楽しみだ。

バスター・キートン短篇全集 1917-1923 [DVD]

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