変化するグッド・バッド・マン ウィリアム・S・ハート

 脚本(シナリオ)の書き方を指南してくれる本は、多く発売されている。その中で強調されていることに、主人公に「変化」が必要であるという点がある。特にハリウッド流の脚本術を教えてくれる本では、強く書かれていることが多い。

 1910年代は、映画がストーリーを物語る存在として確立された10年間でもある。ウィリアム・S・ハートは、そうした時代に西部劇のスターとなり、1910年代後半から1920年代前半まで、絶大なる人気を誇った。その人気の秘密は、主人公の「変化」にあったのだと、私は思う。

 ハートは西部劇のスターと言われる。だが、「西部劇のスター」という言葉から想起されるイメージは、ハートの作品には薄い。例えば、ハートは銃の早撃ちをするわけではないし、ネイティブ・アメリカンの襲来に勇敢に立ち向かっていくわけではない。むしろ、ハートは時に悪役として登場する。

 そう、ハートは悪い奴なのだ。しかし、単純に悪い奴ではなく、心の底には人間味を持った悪いやつなのだ。そんなハートの役柄は「グッド・バッド・マン」と呼ばれた。

 「グッド・バッド・マン」という呼び名は、ハートが演じたキャラクターの魅力を一言で語りつくしていると言っていいだろう。ハートは、悪役と善玉の間を自由に行き来する。そのきっかけは、自分が殺した男の母親の影響だったり、恋した女性の影響だったりする。そこには「変化」がある。今でもシナリオ作成術のポイントの1つである「変化」がある。

 「鬼火ロウドン」(1917)は、そんなハートの「グッド・バッド・マン」の魅力が詰まった作品である。登場するハートは、悪役である。酒場の主人を殺し、自分が酒場の主人になりかわる。しかし、酒場の主人の母親がやって来る。自分が殺した男の母親である。ハートは母親の愛に触れ、苦悩する。そして、最後は罰を受けて、森の中に消えていく・・・。森からやって来たハートは、森に消えていく。森は変わらない。しかしハートは変化している。ラストでは人間味を取り戻したハートがそこにいる。

 ハートが登場する前にも、主人公の変化を描いた作品は多く存在した。そのため、ハートが変化を演じた最初の人物というわけにはいかない。だが、ハートは同じキャラクターを演じ続け、「グッド・バッド・マン」という称号を得た。

 もう1つ。ハートの魅力は、顔にあるように思える。決してハンサムではない中年のハートは、映画を見る人々に近い存在として訴えかけるものがあったのではないだろうか。ハートの変化は、人間の弱さの証でもある。人間は様々なものによって影響を受け、変わっていく。そこにまた、映画を見る人々はハートへの共感を抱いたのかもしれない。

鬼火ロウドン【字幕版】 [VHS]

鬼火ロウドン【字幕版】 [VHS]