映画評「吸血鬼ノスフェラトゥ」

 製作国ドイツ
 原題「NOSFERATU: EINE SYMPHONIE DES GRAUENS」 英語題「NOSFERATU: A SYMPHONY OF HORROR」
 Jofa-Atelier Berlin-Johannisthal、Prana-Film GmbH製作 
 監督F・W・ムルナウ 原作ブラム・ストーカー 脚本ヘンリック・ガレーン 撮影ギュンター・クランフ、フリッツ・アルノ・ヴァグナー
 出演マックス・シュレック、アレクサンダー・グラナック、グスタフ・フォン・ワンゲンハイム、グレタ・シュレーダー

 ドイツ・ブレーメンに住む男性は、ペンシルヴェニアの伯爵がブレーメンに住む家を探していることを知り、契約のためにペンシルヴェニアに向かう。伯爵の住む城へやってきた男性は、伯爵が吸血鬼ドラキュラであることを知るのだった。

 有名なブラム・ストーカーの「ドラキュラ」の最初期の映画化であり、ホラーという意味では最もホラーらしい作品となっている。

 「吸血鬼ノスフェラトゥ」の最大の特徴は、ドラキュラ伯爵の造形にある。後に作られる映画化作品でのドラキュラ伯爵は、官能性を持っていたり、伯爵らしい高貴さを持っていたり、哀しみをたたえていたりといった魅力的な部分を持っているのだが、「吸血鬼ノスフェラトゥ」のドラキュラ伯爵にはそういった要素が微塵もない。ただひたすら不気味なのだ。

 それは演出にも徹底している。ドラキュラ伯爵が血を吸うシーンを直接映し出して、ショッキングな映像を見る者に与えてくれたりはしない(ドラキュラが人間を襲うシーンは影で描かれる)。死に物狂いで逃げる人間を追いかけるようなサスペンスもない。ただあるのは、ドラキュラ伯爵が不気味に登場し、不気味に去るだけだ。「吸血鬼ノスフェラトゥ」の中で、ドラキュラが登場するのは63分の本編中、9分もないらしい。監督のF・W・ムルナウは、ドラキュラの登場を最小限に抑えて、不気味さを見事に表現している。

 ドラキュラが登場するシーンはどれもが不気味だ。あの骸骨のような顔を上に乗せた、長釘のように(allcinema onlineの解説より)細い体が真正面からカメラで捉えられるだけで(船のシーンでは仰角となっているが)、映画には戦慄が走る。

 F・W・ムルナウは、ドラキュラを演じたマックス・シュレック自身が不気味だったことから映画に起用したと言われている。実際、とがった耳と歯以外は、あまりメークアップはされていないらしい。

 ドラキュラ伯爵が登場するシーンでは、ドラキュラ伯爵が人間界とは別世界の存在(吸血鬼)であることを示すために、さまざまな工夫をムルナウは施している。たとえば、ドラキュラ伯爵が乗る馬車が疾駆するシーンでは、ポジとネガを反転させて、本来は黒く見えるところが白く、白く見えるところが黒く映し出される。また、同じ馬車のシーンや、ドラキュラ伯爵が旅のために荷造り(土の入った棺を馬車の荷台に載せる)をしているシーンでは、早回しで高速の動きを見せる。

 早回しの演出は、今見ると少し滑稽に見える。ちょこまかと動く人間の様子が滑稽に見えてしまうのは、多くの喜劇的映画で早回しが使われているのも影響があるのかもしれない。

 1つ残念なのは、昼と夜の区別がつきにくいという点だ。当時の撮影技術では夜間の撮影は難しかった。そこで、夜のシーンでも昼間に撮影されることが多く、「吸血鬼ノスフェラトゥ」でも昼間に撮影された夜のシーンが多くあることが登場人物の影によってわかる。昼と夜を区別するために、当時の手法としては夜のシーンのフィルムを青く染めて上映するという方法があった。フィルム全体が青いシーンは夜であることが観客にとっても暗黙の了解となっていたのだ。オリジナル版では青く染色されて公開されたというが、私が見たDVDでは、すべて白黒であり、昼と夜の区別がつきにくいのだ。

 区別がつきにくいだけならばいい。また、他の内容の作品ならば、まだいい。だが、太陽の光を浴びると死んでしまうドラキュラが、明らかに昼に撮影されたと思われるシーンで屋外を歩いているのをみると、興醒めしてしまう。せっかくの不気味さも台無しになってしまう。

 「吸血鬼ノスフェラトゥ」は、あまり計算高さを感じさせない映画だ。「ドラキュラ」のどの部分が観客に受けるかとか、どう作ったら観客が喜ぶかといった計算があまり感じられない。あるのは、実生活でも不気味だったというマックス・シュレックを使って、とことんまで不気味な映画を作ろうという意思である。その意思は、かなり成功しているが、早回しの部分などではコミカルに見えてしまっているし、昼に撮影されたシーンがはっきりわかってしまうのは興醒めだ。しかし、不気味な映画への意思の強さは、今見てもよく分かる。

 ちなみに、この作品のタイトルが「ドラキュラ」ではなく、「ノスフェラトゥ(不死の者)」であるのには理由がある。製作者側は、「ドラキュラ」の映画化権を得ていなかったのだ。そこで、タイトルも変え、登場人物の名前も変え(ドラキュラはオーロックに変えられた)、映画は製作された。しかし、原作者のブラム・ストーカーの未亡人は見逃してくれず、裁判を起こされて1925年にプリントをすべて破棄しなければならないという判決が下っている。そのため、この作品は完全版が残されていない(ドイツに1本あるとも言われている)。

 2000年に、「吸血鬼ノスフェラトゥ」の撮影現場を舞台にした映画「シャドウ・オブ・ヴァンパイア」という映画が作られている。この映画は、ノスフェラトゥを演じたマックス・シュレックが本当に吸血鬼だったら・・・という仮定の元に作られた作品だ。そう疑わせるだけ、「吸血鬼ノスフェラトゥ」には不気味さが漂っているということなのだろう。


 原作の「吸血鬼ドラキュラ」と比較すると、「吸血鬼ノスフェラトゥ」はストーリー展開やキャラクターがかなり単純化されている。原作を盛り上げる、「血を吸われた人物も吸血鬼となってしまう」「ドラキュラは十字架、ニンニクが苦手」といった設定も映画にはない。原作でドラキュラ伯爵を倒すためのキーパーソンであるヴァン・ヘルシング博士も、映画ではいてもいなくてもいいような存在となっている。映画はそういった原作の要素を削除する代わりに、マックス・シュレックが演じるドラキュラ伯爵の不気味さを際立たせるように描いている。映像で見せるという映画の特性から考えて、この変更は成功しているといえるだろう。


 この後、修復されたバージョンをDVDで見ることができた。こちらでは、染色による昼と夜はきちんと区別されている。もし見るのならば、こちらのバージョンをおすすめする。



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