映画評「ファントム」

 ウーコ・フィルム・GmbH製作、デクラ=ビオスコープ・AG配給
 監督F・W・ムルナウ 脚本テア・フォン・ハルボウ 原作ゲルハルト・ハウプトマン
 出演アウド・エゲーデ=ニッセン、アルフレート・アーベル、ハンス・ハインリヒ・フォン・トヴァルドウスキー

 詩人を目指す貧しい青年ローレンツは、偶然出会った女性ヴェロニカに一目ぼれしてしまうが、ヴェロニカには婚約者がいた。そんな時、ヴェロニカによく似たメリッタに出会ったローレンツは、メリッタに貢ぐために伯母から金を借りる。

 ノーベル賞作家であるゲルハルト・ハウプトマンの生誕60歳を記念して作られた作品で「ファントム」は、元々映画化を企画してハウプトマンが執筆したものだという。作品は、週刊誌に連載された。週刊誌を発行していた出版社の映画部門がウーコ・フィルムであった。

 実直な青年が、1人の女性との出会いで身を滅ぼしていく。この過程をムルナウは、表現主義的な手法で描いている。「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922)よりも現実的な「ファントム」では、主人公のローレンツの心象を表現するために表現主義的な手法が用いられている。ローレンツの心に付きまとうヴェロニカの影は、二重写しなどを駆使して幻想的な光景として描かれる。また、見えない先行きの不安に押しつぶされそうなローレンツの心象を、建物の影に追いかけられたり、建物がローレンツに向かって倒れてきそうになったりすることで表現したシーンは見事だ。

 非現実的な表現以外でも、ムルナウローレンツの心象を見事に表現している。特に、ヤケ気味になったローレンツが、贅沢三昧の夜を過ごすも、心はここにあらずといったシーンでは、流麗なカメラ・ワークやテンポのいい編集などで見せてくれる。

 これらのシーンがどのように撮られたかの一部はDVDの映像特典で見ることができる。

 当時の他の作品と比べて、性欲の描かれ方が露骨な点にも注目してよいだろう。同年に公開された「愚なる妻」(1922)も、人間の欲望を描いており、性欲についても描かれているが、「ファントム」ほどねちっこくはない。

 「ファントム」では、ローレンツの妹は快楽的な生き方をしており、伯母への金の無心をそそのかす伊達男との性的関係はかなりはっきりと分かるように描かれている。その伊達男にしても、ローレンツの伯母と肉体関係にあることが分かる。主人公のローレンツのヴェロニカへの愛情は、周辺の人物たちよりもプラトニックであるように描かれているものの、メリッタに執着する様子はねちっこさを感じさせる。

 ローレンツのヴェロニカ/メリッタへの執着は、ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」(1971)やアルフレッド・ヒッチコック「めまい」(1958)を想起させるものがある。その執着は両作ほど掘り下げられてはいないものの、しっかりと刻み込まれている。

 内容については原作のハウプトマンの資質による部分が大きいのだろう(ハウプトマンの原作は30年ほど前から断続的に構想されていた内容だという)。「ファントム」は、ハウプトマンの原作が持つ粘り気を、ムルナウが見事に映像化した作品といえるだろう。ただ、表現主義的手法では「カリガリ博士」(1919)に、粘り気では「ベニスに死す」や「めまい」に軍配が上がるため、この作品は突き抜けた作品とは言えない。それでも、今見ても見応えのある作品であることに変わりはない。