映画評「魔女」

 製作国デンマークスウェーデン 原題「HAXAN」
 Aljosha Production Company、Svensk Filmindustri製作
 監督・脚本ベンジャミン・クリステンセン

 資金を出したのがスウェーデンの会社のため、スウェーデン映画とされることが多いが、スタッフ・キャストはデンマークであり、撮影自体もデンマークのクリステンセンの撮影所で行われていることから、スウェーデン資本のデンマーク映画というのが正しいところだとされている。

 「魔女」についての考察を7章にわたって行った作品。中世の魔女狩りを記述した書物やスケッチといった資料の解説から、当時の人々が信じた魔女たちの生活の再現、さらには当時の教会による異端審問の再現や現在の女性たちの行動と魔女狩りとの共通点についての考察といった劇映画的なシーンが描かれる。加えて、当時魔女狩りに使われた拷問道具を、キャストの1人が試しに使ってみたりと様々な角度から「魔女」について迫ろうとした作品である。

 この作品のジャンルの分類は「ドキュメンタリー」および「ホラー」とされているが、そのどちらもしっくりと来ない。それが、この作品の特徴と言ってもいいだろう。この作品は小説や舞台といったフィクションを映画化した作品の要素もあるが、決してそれだけではない。書物や図版といった様々な資料を使った教育映画の要素もあるが、決してそれだけではない。悪魔を描いて観客を怖がらせようというホラー映画の要素もあるが、決してそれだけではない。1人称の字幕を使って、映画をクリステンセン自身の個人的な表現物であるかのように製作されている面もあるが、決してそれだけではない。

 現在の私たちの映像をジャンル分けの考え方では、一言では割り切れない作品。それが、「魔女」である。では、どういう映画かと言うと、クリステンセンが「魔女」について語ろうとした作品であるというのが、もっともしっくりくる。クリステンセンは、フィクションもノンフィクションも、リアリズムも反リアリズムも、映画内も映画外も、字幕も映像も、区分することなく、その全力で「魔女」にぶつかっているかのようだ。「魔女」が提示した話法は、残念ながら商業映画のスタンダードとなることはなかったが、その豊かさは特筆すべきものがあるだろう。


 とはいえ、「魔女」が現在名を残している理由の1つが(もしくは最大のものが)、題材が「魔女」であるという点は忘れてはいけないだろう。この作品が「魔女」ではなく、「洗濯女」というタイトルで、中世の洗濯にあけくれる女性たちの生活(道具や待遇の変遷など)を描いた作品だったとしたら、現在でもこうして話題になる作品とはならなかったことだろう。

 映画は誕生から見世物としての要素を強く持っていた。この作品のように「学術的研究」の結果という理由をつけたものとして、性を描いた作品がある。性を描いた作品は、見世物性を隠して人々に受け入れられていくことになる。性に限らずとも、「見たこともない映像」は現在でも話題になり、映画の持つ見世物性への人々の欲求は現在も変わっていない。

 明治大学博物館では拷問用具である「鉄の処女(アイアン・メイデン)」とギロチンを見ることができる。これは、「人間の刑罰の歴史を理解する」ための展示物の1つだ。私は実際に「鉄の処女」とギロチンを見に行ったことがある。このとき、「人間の刑罰の歴史を理解する」という目的もないことはなかったが、そのほとんどは「鉄の処女」とギロチンを実際に見てみたいという好奇心からだったことは否定しない(「鉄の処女」は見るものを圧倒する存在感があった)。

 「魔女」でも実際に魔女を拷問した道具の紹介がなされ、使われたときの様子も図解で紹介される。もちろん、この部分だけではないが、映画は「魔女」に関わる見世物的な部分を惜しげもなく描き出してくれる。クリステンセン自身が演じたメーキャップを施した悪魔(チロチロと動く舌が卑猥だ)、悪魔との契約の証として行われる魔女たちによる悪魔の尻へのキス、箒に乗って空を飛ぶ魔女たち、拷問によって半裸状態でぐったりとした若い女性・・・こういった見世物的な部分が、この映画に魅力を与えていることを指摘せずに、映画史的な意味で「魔女」を持ち上げることは不十分といえるだろう。


 クリステンセンの演出は、あらゆる部分で一流だ。書物や図版を使った解説では、NHKの教育番組を見るかのようだ(拷問具の解説でさえ、まるで農機具の説明と使用法を説明しているかのようだ)。魔女の世界を描いたフィクションの世界を劇映画風に描いた部分での雰囲気の醸造(魔女の家やサバトの様子など)は見事だ。中でも、異端審問によって無実の女性が魔女狩りの餌食となることを再現ドラマ風に描いた部分が素晴らしい。

 修道僧が1人の女性に恋をしてしまったことから、その女性が修道僧を惑わす魔女として捕まってしまう。なかなか口を割らない女性に対して審問を行う僧侶は、逃がしてやるから自ら雷を作る方法だけを教えてくれと頼む。女性は助かりたい一心で、噂で聞いたことのある雷を作る方法を語りだす。すると僧侶は「それ見たことか!やっぱり魔女だったのだ!」と、女性に対して指をつきつける。1人の修道僧の恋は悲劇に至るが、当の修道僧にはどうすることもできない・・・ここには言いようのない悲劇が物語られる。


 「魔女」は、スウェーデンデンマークでの公開では大ヒットした。だが、2国だけでは巨額の製作費の回収は難しかった。だが、当時現在よりも社会的に大きな影響力を持っていた教会の眼を恐れて、各国での上映に際しては検閲によるカットが行われ、上映には数年かかってしまい、興行価値は下がってしまっていた。

 本来の構想では、「魔女」は「聖女」「亡霊」と合わせて迷信についての三部作となる予定だったという。だが、残念ながら、この構想は「魔女」が予想よりは成功しなかったために実現せずに終わってしまう。また、同時に「魔女」でクリステンセンが試みた題材へのアプローチも、商業映画の主流とはならなかった。

 1919年からドイツではウーファによって「文化映画部」が作られ、教育映画的な作品は作られていた。また、それ以前にも教育を目的とした作品は作られていた。また、「魔女」ほど映画全編に渡ってではなくとも、映画の初めや終わりに科学的な考察を入れたりする作品は存在した(フリッツ・ラングの「月世界の女」(1929)など)。だから、クリステンセンの試みがまったく新しいものであるわけではない。

 それでもなお、「魔女」を見て「聖女」「亡霊」が作られなかったのを残念に思うのは、「魔女」が単なる文化映画を超えた、見世物としても、ドラマとしても、文化映画としても面白い作品だからだ。

 「魔女」は、「魔女」という人々の好奇心を集めるのに十分な題材を扱い、あらゆる角度から「魔女」に迫ろうとした(そして、そのアプローチがすべて見事に機能した)作品であるがゆえに、現在でも語られるに足る作品であるといえるだろう。


 ちなみに、この映画の中では魔女狩りの犠牲者は「800万人」と紹介されていたが、現在の調査では最大で4万人だったと言われている。


【参考記事】
デンマーク 「魔女」 現代にはないタイプの作品


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