トマス・H・インスの謎の死とウィリアム・ランドルフ・ハーストとマリオン・デイヴィス

 1910年代の後半に、映画製作者として揺るぎない名声を築いたトマス・H・インスは大金持ちとなっており、スペイン王朝風の大邸宅を構えていた。インス家のゲストルームは、週末のパーティで意気投合したカップルのくつろぎの場となり、インスは秘密の通路とのぞき穴を使って、繰り広げられる淫らな光景を鑑賞していたとも言われている。

 そんなインスがこの年謎の死を遂げている。「市民ケーン」(1941)のモデルになった人物であるウィリアム・ランドルフ・ハーストから船のクルーズの招待を受けたインスは、船上で急性の消化不良から心臓発作を起こして、数日後に42歳で急逝したのである。

 このクルーズはインスの誕生日を祝うためという名目だったが、ハーストは愛人マリオン・デイヴィスのために作ったコスモポリタン映画社の撮影所として、インスのスタジオの使用を交渉しようとしていたと言われている。

 マリオン・デイヴィスはレビュー劇団である「ジーグフェルド・フォリーズ」の一員だったが、1917年にハーストと出会った。ハーストはマリオンに惚れ込み、マリオン主演の映画を製作して、自らの傘下の新聞・雑誌で賞賛した。さらにハーストはマリオンのために、金箔張りの舞踏室や50人の客をもてなせるダイニング・ルームや総大理石張りプールがある、ジョージ王朝風で100室の客室を持った屋敷をサンタモニカに建ててやり、チャールズ・チャップリンルドルフ・ヴァレンティノといった大物を呼んで、週に2,3度は豪華なパーティをしたという。

 「市民ケーン」で謎の言葉とされる「薔薇のつぼみ」は、ハーストが20歳のデイヴィスの固い、秘めたる部分につけた愛称だったと言われている。当時の内部事情に通じたハリウッド人は誰もが知っており、「市民ケーン」の脚本を書いたハーマン・マンキーウィッツはあえてその言葉を使い、ハーストは激怒したという。

 インスの死は多くの噂を呼んだ。インスがパーティのさなかにマリオンとしけこんでいるところをハーストに発見されて、ハーストに射殺されたというもの。さらには、インスとチャップリンを間違えてハーストが射殺したという噂もあった。チャップリンが「ハーストの船には乗っていなかった」と言っても、噂は消えなかった。

 当局も捜査に乗り出し、ベストセラー「あれ」の原作者で知られるエリノア・グリンやコラムニストのルエラ・パーソンズなどの船に乗っていた人物に事情聴取を行ったが証拠はなく、「噂には根拠がない」と正式にコメントを発表した。だが、「ハーストが数千万ドルで警察の口を封じた」という噂が逆に広まる始末だった。

 ちなみにハーストは、事件後密かにインスの未亡人ネルに信託資金を与えたという。だが、大恐慌でクズ同然となって、ネルはその後タクシーの運転手として生計を立てたと言われている。