1913

 エジソン社の映画製作

衰退への途を歩んでいたエジソン社だったが、映画製作は行われていた。 1913年は、「AT BEAR TRACK GULCH」「THE AMBASSADOR’S DAUGHTER」「A SERENADE BY PROXY」「ALL ON ACCOUNT OF A TRANSFER」といった作品が作られている。 (映画本紹介)無声映画…

 ウィリアム・ハーストとニュース映画

新聞王として有名なウィリアム・ランドルフ・ハーストは、1913年にはワーナー兄弟と提携して、ニュース映画を製作している。次にシーリグ社と提携し、ニュース映画を製作し、パテ・ニュースを配給していたMPPCの配給会社ジェネラル・フィルム社によっ…

 連続映画 カスリーンの冒険

1911年にフランスで製作された「ジゴマ」など、連続映画は大衆の人気を得ていたが、1913年にはアメリカにおける連続映画である「キャスリンの冒険」がシーリグ社によって製作、公開されている。猛獣映画を得意としていたシーリグ社の作品だけあって…

 マック・セネットのキーストン社

マック・セネット(写真)が率いる喜劇映画製作会社のキーストン社では、後に大人気喜劇役者となるロスコー・アーバックルがヴォードヴィルの世界から、キーストン社に入社している。アーバックルは「ファッティ」のあだ名で、メイベル・ノーマンドとの共演作な…

 D・W・グリフィスのバイオグラフ社からの離脱

完全に独立側に押されていたMPPC側の映画製作では、カーレム社がキリストの生涯を映画化した作品を製作した。キリストを冒涜しているという議論も起こったが、興行的にはヒットした。 MPPC側で何とかがんばっていたのは、バイオグラフ社だった。その…

 青木鶴子のハリウッド映画出演

早川雪洲の妻としても知られる日本人である青木鶴子はこの年、「お鶴さんの誓い」(1913)という映画に出演している。喜劇で、日本的な異国情緒をコミカルに描いた作品だったといわれている。青木鶴子は、早川雪洲よりも先に、ハリウッド映画に出演して…

 トマス・H・インスとミューチュアル社

独立系の一翼を担っていたミューチュアル社で映画を製作していたトマス・H・インスの元では、後に大活躍する監督となるフランク・ボーゼージらが俳優として活躍していた。1913年には、その中にウィリアム・S・ハートが加わっている。ハートは3巻物の西部…

 ユニヴァーサルの第一作

1912年にIMP社とパワーズ社などが合併して設立された、カール・レムリのユニヴァーサル社の第一作が1913年に公開されている。ニューヨークにおける社会調査を元にした「暗黒街の大掃蕩(TRAFFIC IN SOULS)」(1913)がそれである。この作品は…

 フェイマス・プレイーズの長篇ロードショー制度の確立

後にラスキー・フィーチャー・プレイ社と合併することになる、アドルフ・ズーカー率いるフェイマス・プレイヤーズ社は、早くから長篇に目をつけていた。ズーカーは、上映時間1時間以上の長編映画による週替わりの上映番組を編成しようと試みた。1913年以来…

 ラスキー・フィーチャー・プレイの設立

MPPCと独立系映画会社の対立は、独立系映画会社に軍配が上がりかけていた。独立系の勢いを止めることは、MPPCにはもはや出来なかった。ウィリアム・フォックスによって行われた、MPPCに対する反トラスト法違反の告発は、政府がMPPCに対して…