「松之助の忠臣蔵」 1910−1917年

「松之助の忠臣蔵」(1910−1917)

 「松之助の忠臣蔵」の製作年は1910年から1917年となっている。これはどういうことかというと、決して製作が8年間かかったということではなく、1910年から1917年にかけて作られたいくつかの尾上松之助主演の忠臣蔵ものを編集して作られた作品だからである。編集版を製作したマツダ映画社によると、戦後のフィルム不足の時代に配給されたものだという。主要な部分は1910年に製作された「忠臣蔵」だと推測されているらしい。

 尾上松之助が主演、牧野省三が監督を担当している。この2人の名前は、日本の映画史を調べていくと最初に登場するスターであり、最初に登場する本格的な映画監督である。当時、2人が組んで製作した映画のほとんどは現存していない。「松之助の忠臣蔵」も、いくつかの作品をつなげたものであり、それでも欠損していると思われる部分がある。

 当時の欧米の映画も、現存していない作品は多々ある。しかし、日本ほどではない。たとえば、ジョルジュ・メリエスによる1902年の作品「月世界旅行」やエドウィン・S・ポーターによる1903年の作品「大列車強盗」は今でも私たちは見ることができる。日本には、第二次大戦の空襲によってフィルムが焼けてしまったという事情がある。さらに、こちらの方が大きいと思われるが、日本映画の市場が国内に限られていたために、もともと上映用に作られたフィルムの数が少なかったというのも大きいと言われている。

 「松之助の忠臣蔵」の元となった忠臣蔵ものはサイレントである。しかし、私が見たマツダ映画社によって編集されたものは、トーキー時代に製作されている。そのため、冒頭や途中に浪曲が入っているし、セリフもアフレコでつけられている。

 1910年から1917年にかけて、日本での映画上映には弁士が不可欠だった。映画の説明だけではなく、セリフも弁士がつけた。セリフ担当の弁士のことを声色弁士といった。「松之助の忠臣蔵」では、映画の背景などの説明はないが、セリフがつけられている。

 当時の日本映画の特徴として、声色弁士がセリフをつけることを念頭において製作されていたという点がある。そのために、映像だけで物語を語る必要性がなかった。「松之助の忠臣蔵」も、映像だけでははっきりいってよくわからない。基本的に、1幕が舞台から見るような視点で、カメラの動きもなく、ぶっ通しで撮影されている。松の廊下で、浅野内匠頭が吉良上野之介を斬り付けるシーンも、映像としては2人が何かをしゃべっている映像があって、急に浅野が吉良を斬り付けるだけだ。そこには、吉良のいじわるそうな表情や、浅野の我慢に我慢を重ねるクロースアップなどはない。

 映像は、基本的に舞台を撮影しているかのように撮られている。加えて、演出も舞台(特に歌舞伎)風だ。きちんと振りつけられた立ち回りは、リアリティはまったくなく、歌舞伎的な動きを踏襲している。

 そんな「松之助の忠臣蔵」には、当時の日本映画がどういうものであったかという片鱗を垣間見ることが出来る。それは、当時の声色弁士が存在することを前提として、1本の作品が作り上げられていたということも含めて。「松之助の忠臣蔵」の声色弁士たちのセリフ回しは、それぞれ特徴があって(基本的に1人物につき、1人の声色弁士が担当している)おもしろい。当時の実際の上映に際しては、声色弁士の力量が映画を見て楽しいかを左右していたであろうことが実感としてわかった(当時は、声色弁士の人気によって、映画館の入場者数も違ったという)。

 「松之助の忠臣蔵」は、貴重な作品である。



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