ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(1)

 ニッケル・オデオンとは、映画草創期にアメリカ全土で映画を提供した映画常設館のことである。もっと分かりやすく言うと、映画館のことである。では、なぜ映画館ではなく、わざわざ「ニッケル・オデオン」という別名がついているのだろうか?それは「ニッケル(5セント銅貨)」で映画を見ることが出来る映画館だったからである。

 ニッケル・オデオンが誕生したのは、1905年のピッツバーグだったと言われている。それでは、1905年までの映画興行はどのように行われていたのだろうか?

 上映式の映画が誕生したとき、「映画館」は存在しなかった。映画自体が存在しなかったのだから、当たり前の話だ。リュミエール兄弟は、最初の有料映画上映をグラン・カフェというイベント・スペースのようなところで行っているし、ジョルジュ・メリエスは自らが運営していたマジック劇場であるロベール・ウーダン劇場で、自ら製作した映画の上映も行っていた。

 「映画館」は存在していなかったが、「上演」の形式を取っていたものは多くあった。それは舞台であったり、寄席であったりした。映画は舞台の劇場や、寄席を行っている場所などを使って上映された。

 一方では巡回興行や露天興行も行われた。上映機材とフィルムを持って巡回し、地方の祭りなどに合わせて興行を行うというものだ。

 舞台での映画の上映はメインの舞台劇の幕間を埋めるためのものだったり、引き立て役に使われていた。寄席では、コントや漫談や歌やダンスといった他の出し物の1つとして使われていた。巡回興行や露天興行の場合は、最初のうちは物珍しさから映画のみで人々を集めることができたであろうが、徐々に難しくなってくると縁日や祭りの出し物の1つとして映画は存在していた。



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