フランス ルイ・デリュックによる「フォトジェニー論」

 フランスのルイ・デリュックは、著書「フォトジェニー」の中でフォトジェニー論を唱えて、注目を集めている。

 この「フォトジェニー」について少し詳しく書いておきたい。定義すると、「映画の本質や特質を規定する概念で、映画特有の映像美や美的効果といった『映画的なるもの』のこと」ということになり、幅が広い。ジャン・エプスタンらに影響を与えていくこの理論は、多くの人によって独自の解釈が施されて、内容は微妙に変化していく。

 デリュック自身が考えた元々のフォトジェニーとは、写真的な映像美のことであったという。とはいっても、技巧を凝らした作為性の強い芸術写真のことではなく、偶然に自然にキャメラが捉えたスナップ・ショットやニュース映画の類を指していた。

 ルイ・デリュックは、ジュルメール・デュラック監督の悲劇的なメロドラマである「スペイン祭」(1920)の脚本家として映画界にデビューを果たした。その後、小規模の予算を集めて「黒い煙」(1920)を監督したが、失敗に終わる。そのため、妻のエーヴ・フランシスを主演にした「沈黙」(1920)が実質的な映画監督デビューであるといえる。

 「沈黙」は、フィルム・ダール社のために監督された作品である。1人の男がベッドの上で過去を回想し、最後には自殺するという物語だった。観客を現在や過去へと導くために、フラッシュ・バックやクロス・カッティングを大々的に使用し、1人の登場人物の中で高揚しているように演出されているという。デリュックは、デリュックはクロス・カッティングの重要性を理解していたと言われ、次のようにも述べている。

 「映像による現在と過去、現実と想い出という対照は、映画芸術の最も魅力的な議論の一つである。(中略)私は、数々の想い出についての妄想や過去への根源的な回帰を映画に転写する以上に魅力的なものは何も知らない」

 また、「沈黙」では、セット、照明、撮影が雰囲気を生み出し、字幕のような「説明文」がなくても成り立つようになっていたという。しかし、興行的には失敗した。美しい映像や、豪華な描写がなかったためとも言われている。

 デリュックは「沈黙」以後も、カメラが生み出す「フォトジェニー」を映画美の本質と捕らえ、フォトジェニー論を実践した作品を以後監督していき、1920年代のフランス映画界に大きな影響を与えていく。